第二十二夜 Time Difference @Sofia [Bulgaria]
―DAY22― 8月26日(帰国まで4日)
時差だった。
「今、1:30よ」
深夜のひと気がないチケット・カウンターで退屈そうにしていたおねえさんはそう言い放った。
バスに乗り遅れたことでようやく気づいた、ここブルガリアとバルカン諸国の間には「時差」があったのだ。
少し調べておけばカンタンにわかることなのだが、
時差が生じるのはアジアとヨーロッパの境目でもあるトルコから、と勝手に思い込んでいた。
実際、イスタンブールを経由し、クロアチアに入る際は間違いがないようしっかり「時差」を気にしていた。
それもあってかキワメテ独断的に「トルコから時差が生じるもの」、と思い込んでいたのだ。
我田引水的拡大解釈式に言い訳を展開すると、
セルビア・ベオグラードからブルガリア・ソフィアへやって来たのが寝台列車、というのも要因のひとつだ。
車内アナウンスはないし、駅にそんな案内があるはずもなく、
ソフィアの街に放たれるとそのままセルビアの時間で過ごしていた。
フライトならアナウンスもあるだろうが、亡者のように駅に降り立ったバックパッカーに手は差し伸べられなかった。
そういえばこの街に着いてから公共の時計を眼にしなかったし、気にも留めていなかった。
真夜中のバス出発が決まり、特に時間に追われるわけではなくなったので時間はザックリと気にしておけばよかったのだ。
結果、1時間ズレていたと考えると、すべてに合点がいった。
道行く人が少なくなっていったのも当然の頃合い、
早仕舞いのスーパーは表示通りの時刻で閉めていたわけで、
BARで見かけた酔っ払いも盛り上がっていいはずの時間帯、
荷物預かり所のオババが怒り狂っていたのは時間を守らないこのアジア人のせいだったのだ。
原因はすべてこの愚かなる旅人にあった、ヒントは数々あったというのに。
もはや探偵業は廃業したほうがいいかもしれない、誰が探偵だ?
「『ブカレスト』に行くにはどうしたらいいかな?」
「う~ん、うちだと扱ってないから窓口が開く朝まで待たなきゃならないんじゃない?
6時ごろには開き出すと思うわよ」
「ありがと。ということで、今は1:45だよね?」
「そう、退屈な真夜中よ」
腕時計の針を直しながら、さっきまで陣取っていたベンチに戻り、横になった。
幸い、バス・ターミナル内はフリーのWi-Fiが飛んでいる、PCでバスの時刻を調べ、旅のプランを練り直した。
ソフィア滞在が8月25日、たった今バスを乗り過ごし、日付が変わり、26日、
27日夜、イスタンブールの空港に向かわねばならず、28日の0:40の便で発つ、
残り日数というか残された時間はほぼ48時間、映画のタイトルのようだな。
う~ん。
こうなると朝一のバスでブカレスト到着が昼、午後に街をうろつき、
夜行バスでイスタンブールへ向かい、ここでもデイタイムだけ滞在し、夜に空港に向かう強行軍か。
ツアコン時代に繰り返し訪れた以来の久々のイスタンブール、もうちょっとじっくり味わいたいよな。
う~ん。
ここから朝一でイスタンブール入りして、昼過ぎ到着、ゆっくり過ごし、そこで一泊、
翌日もイスタンブール満喫で、そのあと空港へ向かうか、この案だとルーマニア・ブカレストはスキップだ。
う~ん。
夜行列車、バス・ターミナル泊、深夜バスで空港行きはさすがにベッドが恋しい。
やはりイスタンブールで一泊して、ゆっくり街を巡るのが正着か、と思い、イスタンブールの安宿を探した。
足、つまりバスを確保してないので、ブッキングはせずにベンチで眠りに就くことに。
8月だというのにソフィアの夜は冷え込む、夏服しかないのでTシャツやシャツを重ね、即席のミノムシ。
気分的にも充分、滅入っていたので風邪をひかないようそのことだけケアした。
こう書くとバスを逃しながらも冷静に対処しているように思えるが、
これを記していて、遡って写真を探したがソフィアのバス・ターミナルの写真が一切なかった。
おそらくそんなところまで気が回っておらず、後悔としでかした失敗に頭を抱えていたに違いない。
この旅2度目の「バス・ターミナルの夜」を明かし、まだ暗い朝の空の下、バス・チケットを扱う代理店を探した。
http://delfin2.blog.so-net.ne.jp/2015-02-14 バスターミナル@モンテネグロ
イスタンブール行きのバスは大きな新バス・ターミナルと中央駅との間にある旧バス・ターミナルから出るらしく、
そこでドライバーやスタッフにかたっぱしから声をかけ、チケットを扱う事務所を教えてもらった。
「『イスタンブール』行き、一番早い時間の空きありますか?」
代理店らしい構えの事務所に入るとデスクの向こうにいた小奇麗な身なりをした男性が
ロシア人女性のパスポート片手に方々に電話をかけては彼女たちにヴィザがどうのとかダメダとか、
なにやら説明し、少しばかり揉めていた。
おかまいなしに声をかける、こういう場合、待っていると後回し攻撃に晒されることは旅を重ね、分かっている。
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「OK、こっち終わったらやるからそこに座っていて」
確約を取って後ろのイスに腰かけた、壁の時計は6時半を回っている、隣の男性と言葉を交わしていると順番が回ってきた。
「おまたせ。イスタンブール? 次のバスは8:30かな?」
「早いヤツならなんでもいいです。昨日、これ、乗り過ごしちゃって」
ひょっこり入った代理店だったが、偶然にも同じバス会社を扱う店らしく、デスクの上に同じチケット・カバーが並んでいた。
こちらではバス会社が窓口をかまえるのでなく、代理店がチケットを売っていることが多い。
紙切れになったブカレスト行きのチケットを見せてみた、モチロン少しばかりの淡い期待を乗せて。
「ああ、これ、駅の店舗で出したやつだね、ごめんね、出発前なら行き先変更できるんだけど、これはもうダメだ」
「あはは、そうだろうね。いいんだ、こちらのミスだから」
52レヴァのチケットはあっさり流れた。
「7:15ってやつまで時間ないけど、そっちに乗るかい?」
壁の時計は7時に迫っていた。
「早ければ早いだけ助かります、8:30よりもそっちがいいな」
「じゃあ、すぐに発券するよ。時間がないからそのスタッフがバスまで連れて行くよ」
「ありがとう、それは助かります」
チケット代50レヴァを支払う、両替したUS$50が56レヴァなので、4000円程度、
到着は16:30頃、約9時間で距離も長いのだが料金はブカレスト行きより安かった。
小間使いらしい若い男性の先導でバスまで連れて行ってもらい、新しい車体に乗り込んだ、彼は「チップ」とは言わない。
車内はキレイでおまけに空いていて、どうやらぐっすりと眠れそうだった。
席につくと間もなく、バスは出発した。
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第二十一夜 Small Problem @Sofia [Bulgaria]
トップリ日が暮れるとアッサリ人の気配がなくなった。
大通りを歩いていても「ここが首都なの?」というぐらい人がいない、みな家路についてしまったのだろうか。
まだ歩いていなかった西側を目指し、路面電車を追うように線路沿いの舗道を進んだ。
こちらサイドなら歩き疲れた場合の帰路は、トラムでバス・ターミナルへ向かえばいい。
街歩きで気づいたが、ここブルガリアでも通りを走るクルマが優しい。
横断歩道もない路地でもドライバーは笑顔で待ってくれるし、交差点の角に立てばほとんどのクルマが道を譲ってくれる。
バルカン同様、ドライバーに余裕と優しさを感じるのだ、なにも急がず、なにも慌てず。
特に苛立たず、特にいきり立たずという運転で、クルマという「力」を操る側としてはこうありたいものだ。
少し寂しい通りで、明るい光を放つダイナーのような造りのレストランに目が止まった。
スープを売りにしているレストランらしく、ウィンドウの向こうのガラスケースに寸胴がいくつも並んでいるのが見えた。
テイクアウトなのか、出入りする客が多い、ふふふ、こういう時はハナが利くんでね、この店に決め、扉を押すと、
テーブル席に案内され、メニューを渡されたが、そこにはブルガリア語しか書かれておらず、一瞬で音を上げた。
「すみません、英語のメニュー、ありませんか?」
気のいいおねえさんにそういうと肩をすくめられた、英語版はないらしい。
こういうときには必殺技「隣のテーブルと同じヤツ」だ、となりの女性2人組が食べていたチキン・ソテーを頼んだ。
「セットにするとスープがつくわよ、スープはメニューじゃなくて、あっちで選んで」
英語混じりのブルガリア語でそれらしいことを言われ、ガラスケースの方を示された。
テイクアウトの客と肩を並べ、気になった寸胴を「コレなに?」「コッチは?」などと聞きながら、
結局、「No.1人気」という豆のスープに決めた。
今度も必殺技「指差し注文」、食堂の人たちはお客には優しいからね、言葉が通じなくても意外となんとかなるものです。
腕時計を確認すると20時を回ったところだった。
22時まで開いているスーパーに目星をつけていたので、店が閉まる前に飛び込み、水や夜食のパンを買い込み、
駅に預けて置いた荷物を受け取り、あとはバス・ターミナルで軽く着替えたりしながら、時間をツブせばいい。
そんな具合になんとなくブカレスト行きまでの流れが読めたので、気分的に楽になっていた。
店のマダムに「味はどう?」なんて言われながらゆっくり夕食の時間を楽しんだ。
ところがこの時すでに悲劇は忍び寄ってきていたのだった、知らぬは本人ばかりなり。
食事を終え、21時過ぎに店を出ると外気はすっかり肌寒くなっていた、夏とは思えない冷え込みだ。
おいおい、8月下旬だぜ、などと思いつつ、スーパーを目指す。
夕食前よりもさらに人影が少なくなっていたので、気分的に寒さが割増しになっていたのかもしれない。
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21:30、スーパーに飛び込むとすでに閉店準備をしていた。
入口を守る警備員に体よく追い払われる形でなにも買うことができず仕舞い。
「お~い、閉店までまだ30分もあるんですけど~」などと文句を垂れてみたが、屈強な警備員はたじろぎもしない。
しかたなくバス・ターミナルへの道のりへ戻った。
途中、営業していたピザ屋の店先に切り売りのピザとデニッシュが並んでいたので、そいつを包んでもらう。
ピザ屋の店内はBARのようになっていて、かなりの客が飲んだくれている。
一応、深夜バスの夜食、あるいは朝食のパンはゲット、水はバス・ターミナルの売店で買えばいい。
なんとなくイヤな予感がして、駅の荷物預かり所へ急いだ。
駅構内はやけに薄暗く、23時まで営業しているはずの預り所は閉まっていた。
少しばかり青くなってドアを叩くと幅の広いオバチャンが煩わしそうに小窓からこちらを睨みつけてきた。
「これ(引換券)の荷物、もらいたいんだけど?」
「X@△XX*@!!」
なんだか知らないがものすごい剣幕で怒っていて、クロークの扉を開けてはくれない。
荷物をもらえないことには困ってしまうので、大げさなぐらい下手に出て、ていねいな言葉づかいで懇願してみた。
小窓の向こうの奥の棚には自分のバッグが見えている。
「あれです、あのカバンです、ください、お願いします、あの黒いバッグです」
なにしろ荷物を置いたままではブカレストに旅立てない。
幅の広いオバチャンは重いカラダを持ち上げ、扉を開けてはくれたが、文句を言い続けている。
こちらの腕時計を指し示して怒っているようだが、時刻は22時を少し回ったところだ。
「23時までって言ってたじゃないですか。なんでそんなに怒っているの?」
ここでもモチロン英語は通じないので、終始、ブルガリア語で怒られ続けていて、わけがわからなくなっていた。
ひとまず扉を開けてくれ、バゲージを無事に回収できたので、ていねいに礼を言いつつも、
こちらも日本語で憤慨しながら荷物を背負い込み、荷物預かり所を後にした。
「スーパーにしろ、クロークにしろ、どいつもこいつもそんなに早く帰りたいのかよ」などと文句を垂れながら、
バス・ターミナルへ向かう、あっちでもこっちでも気分が良いとはいえない対応が続き、イラついていた。
実はイラつかれる原因はこの旅人にあり、この時、バカな旅人はそのことにまだ気づいていない。
今朝訪れたバス・ターミナルの2階に上がり、ゆっくりできるベンチに陣取った。
深夜発、あるいは翌朝の出発を待つ客だろうか、ベンチでくつろぐ人が多く、同輩がいることには少し安心感が漂った。
街歩きで汗ばんだシャツだけ着替え、カンタンにカラダを拭いた。
22:30を回ったところなので、バスの時間には2時間ほどある、他の客と同じようにベンチにくつろぎ、読書タイムだ。
我が腕時計の日付が変わるころ、チケットに書かれた番号の乗り場へ向かった。
ターミナルにはバスが一台もいなかった。
時間ギリギリに来て時間ちょうどに出発するのか、とバルカンのこれまでと照らし合わせ、気楽に考えていた。
ところが出発時間の0:30になってもバスはモチロン、他の乗客の姿もない。
少しばかり青くなって、辛うじて開いていた他社のチケット・カウンターに尋ねると、実にシンプルな答えが返ってきた。
「そのバスはもう出たわよ」
ブカレスト行きのバスはすでに出発していた。
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第二十一夜 Short-Term Homeless @Sofia [Bulgaria]
『アレクサンダル・ネフスキー寺院』から街の中心へ戻った。
途中途中にある教会を眺め、店先を冷やかし、気になった路地に入り込み、急ぐことなく歩く。
時間に縛られず、こんな風に歩く旅先のひと時が一番贅沢で楽しい。
とはいえ、どことなく落ち着かないのは逗留先がないからだろうか。
寝台列車で朝に着き、深夜バスで夜に発つ、
ブルガリアの首都は通り抜けていくだけの行程、と決めてしまっていた。
泊まらずに駆け抜ける「日帰りソフィア」だ。
そうなると歩き疲れても戻る場所がない「短期のホームレス」だ。
そのホームレスがこの夜、まさかあんな破目に陥るとは。
この時はまだ知らないで街歩きを続けていた。
小さな公園では子供たちが嬌声を上げていた。
周りの木陰にはベンチがあり、お年寄りがくつろいでいる。
お父さんが子供たちの面倒を見ているようで、お母さんたちは井戸端会議に忙しい。
広場の真ん中には水道があり、近所で買ってきた果物を洗い、子供たちに齧らせているお母さんもいる。
ジョギングする人が立ち止まり、ペットボトルと自分自身に給水するとまた走り出していった。
こちらも遠慮なしに顔を洗い、水を補給、
隣にやって来たおじさんはこちらを伺い、ニヤリと微笑むと同じように顔を洗い出した。
そういえばマケドニアからこっち、公共の水飲み場をよく見かける。
ヨーロッパの街角ではよくある光景、街歩きには真の「オアシス」となるスポットだ。
「水の国」日本ではこういった光景はあまりみかけない。
公園に整備された「水道」とちょっとまた毛色が違うんだよな。
そういえば外国の方は「日本ではお店で水が出てきた」って感動するらしい。
ツアーで案内していてこういう情景に出会うと「飲んで大丈夫なの?」なんて聞いてくるお客さんが多かった。
「地元の人は飲んでいるし、わたしも部屋でも普通に飲んでますよ」と正直に答えていた。
「ただし石灰分が多いので緑茶に入れるとすぐに茶色く沈殿しますね」なんて注釈をつけて。
実際、ホテルの部屋でティーバッグの日本茶を煎れるとあまりおいしくないのです、これが。
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そういえばかつて自分が担当したツアーではオナカ壊す人は少なかったなあ。
こういうのは正しい情報さえ提供できれば、みなさん意外と平気なのですよね。
情報過多に陥っちゃっている人は歯を磨くのにもミネラル・ウォーター使ったりしてますからね。
慣れない「硬い水」が合わないだけ、おなか壊す「菌」がいるわけじゃないのです。
見知らぬ土地でおなかを壊す原因のホトンドは「疲労」だったりします。
フライトですでに疲れている上に市内観光、街歩きで一日歩き回り、
そこに慣れない食事となれば、おのずと答えは、ねえ。
「座っているだけ」と思ってしまうフライトですが、実際は「減圧」と「乾燥」でカラダはボロボロ、
到着から数日は駅ることならスロー・ペースでいきませう。
ちなみに50か国ほど訪れた経験で1つだけ水道水を飲まなかった国があります、どこでしょう。
答えはエジプト、だってあの国、シェラトン・クラスのホテルでもしばらく水を出しておかないと赤いんですぜ。
ほとんどの水道管が錆びているんだそうで、蛇口から出てくる水が赤いのです。
地元の人も「飲まないほうがいいですよ」だって。
途中、『St. Sofia Church(聖ソフィア教会)』を訪れたりしながら、
『スヴェタ・ネデリャ広場』を目指し、そこでランチをとることにした。
短い滞在となるブルガリアだが「郷土料理ぐらい食おうじゃないか」と思いつつ、
ブランド・ショップやブティック、カフェやレストランが並ぶ通りを物色して歩いた。
ところがソフィアの中心地にあるオシャレ通りには地元料理らしい店が見当たらない。
こりゃあ、探す場所間違えたなあ、と反省しきりに歩いているとひときわ客を集めている店が目に留まった。
中華の店だがいわゆる中華料理店的な感じでなく、
デリカ・テッセンのようなカフェのような、入口に「Free Wi-Fi」の表示があるようなオシャレ・スタイルのお店。
チャーハンと野菜炒めのプレート7,9レヴァ、オシャレな店はちょっとお高めね。
いくら滞在が短いからといっても、午後の一番熱い時間を街歩きに費やす気はせず、
エアコンの効いたカフェに潜り込み、食後のコーヒーを頼み、PC開いて、しばし休憩モード。
ガラスケースを彩るアイスクリームから誘惑の視線、逃れることができずに追加オーダー、
う~ん、街なかにいるとチョコチョコお金を使うなあ。
陽射しが弱まってから広場の周辺をぶらついた。
広場と同じ名の『St. Nedelya Cathedral(聖ネデリャ教会)』、
朽ちかけた感じの『St. George Church(聖ゲオルギ教会)』、
地下鉄工事で見出された『セルディカの遺跡』など片っ端から足を向け、巡り倒す。
ああ、フレスコ三昧、見放題のシアワセ。
首都のど真ん中だけあって、有名どころのホテルが並び、凛と立つ制服姿のドアマンがまぶしい。
ああ、そういえばファスト・フードのカンバンも久々のお目見え、
なにせバルカン・エリアにはチェーン店の魔の手は及んでいなかったからなあ。
『バーニャ・バシ・ジャーミヤ』の隣りの公園へ。
モスクの裏手では地元の人が大きなタンクや水筒を持って水を汲んでいた。
これまた公共の水飲み場かと思い、手を浸してみるとなんと蛇口から流れ出る水が温かい。
「温泉!」
辺りを眺めているとクルマで横付けしてきて、たくさんのポリタンクやペットボトルを降ろしたかと思うと、
蛇口からたんまり温泉を汲んではまたトランクに積み込んで帰っていく。(写真7)
モスクの名に『バーニャ』が残っているのはかつてこの辺りに入浴場があったからだという。
犬の散歩ついでに自らの口を湿らせていく人もいて、穏やかで微笑ましい光景が広がっていた。
ここだけどこかの田舎町の温泉場か公共施設という感じで、一国の首都のど真ん中とは思えない空間だ。
夕暮れが訪れはじめた頃、アザーンが響き渡る。
こんなとき、「ああ、自分は異国の知らない街に居るのだなあ」などと思ったりする。
センチメンタルに浸るわけではなく、旅先のなにげない瞬間、なにげない一瞬にそんなことを感じるのだ。
脇を抜けていくトラムは家路を急ぐビジネスマンで混み合っていた。
家路を急ぐ彼らにはモチロンそんな感傷はない。
さあて、居場所のない放浪者、家路のない旅人はどこへ行こうか。
バスの時間は0:30、まだ4時間以上残っているソフィアの時間をどう過ごそうか。
夕食のレストランを探しながら、あてもない見知らぬ路地を歩き続けた。
バーニャ・バシ・ジャーミヤそばの公共温泉
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第二十一夜 Captivating Frescoes @Sofia [Bulgaria]
『聖ニコライ教会』に別れを告げ、さらに東方面に進んだ。
『ツァール・オスヴォボティテル通り』の広い通りには大きな建物が連なり、
整然と静けさを保っていた。
劇場や官庁が続き、道行く人もガチっとした高級スーツの男性が多い。
そんな中、唐突に警備員のうごめく姿が増えたと思ったら『国会議事堂』のご登場、
おそらくこの国の最高機関の建物であろうが、まったくそれらしくなく、
スマートな佇まいのエントランスは老舗ホテルか高級レストランのよう。(写真2)
国会議事堂広場には『解放者記念像』と銘打ち、ロシア皇帝の銅像が置かれていた。
オスマン朝トルコからブルガリアを解放した英雄がロシア皇帝アレクサンダル2世だ、ということは、
帰国後、バルカン・エリアの歴史を調べ、わかったこと。
この時点では「なんでロシアの皇帝やねん」と関西弁で思いつつ、歩みを進めている。
議事堂の隣に唐突に濃い緑が広がったかと思うと、本を片手に足早に歩く若者が増えた。
彼らを追うように後に続くと国会議事堂よりはるかに堂々とした建物がお出まし。
『ソフィア大学』、おお~、こちらはホンモノの「Sofia Univ.」、
千代田区にある大学は「F」でなく「PH」、ところでなにがホンモノなのだ?
大学を右手に眺めつつ、警備が巡回する通りを抜けると、聖堂が鎮座していた。
建物に近づくにつれ、その大きさが染みてくる。
辺りになにもない広大なスペースにポツンと置かれているので、具体的な距離感が掴みづらいのだ。
孤立した感じでそびえ立つ聖堂はそこに「いる」という感じで、「出現」という形容が相応しい。
それにしても宗教関連の建物は大きすぎると威圧感がスゴイ、
こちらとしてはただあんぐり、といった感じで眺めるだけのバカに成り下がっていた。
『Aleksandar Nevski Memorial Church(アレクサンダル・ネフスキー寺院)』、
12のドームを持ち、「バルカンでもっとも美しい」といわれる教会の中に進んだ。
すっかり熱い時間になっていたが、聖堂内は外の日差しを忘れさせるひんやりした空気に包まれていた。
石造りの偉大さ、湿気の多い国ではこうはいかない。
いくつものドームを合わせ持った聖堂はあますところなくフレスコで埋め尽くされ、
いくらカメラを振り回しても追いつかない気にさせられる。
まずは礼拝堂の席に落ち着き、カメラを収め、外歩きの熱と蒸気した気分を冷ました。
汗が引き、気持ちが落ち着いたところで、ゆっくり堂内を見て歩く。
そう、慌ててシャッターを切らずともフレスコは逃げないのだ。
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第二十一夜 Old Regime @Sofia [Bulgaria]
バゲージを預け置き、客引きを置き去りにし、すべて身軽になってソフィアの街に繰り出した。
『中央バス・ターミナル』から南に街の中心『スヴェタ・ネデリャ広場』があるようだ。
駅やバス・ターミナルに市内地図をもらえる場所はなく、
掲げられた地図を頭に焼き付け、方向だけを頼りに大きな『マリア・ルイザ通り』を南に向けて歩いた。
方向だけ定めて無手勝流に歩くのはいつものこと、
方向音痴でないことを少しだけ感謝しながらガシガシと早足で歩き出した。
と書くと常に軽やかに街を闊歩しているように聞こえるが、
この旅でも地図を持たず、宿探しに小一時間をムダに費やすヘマをたびたび繰り返していることはご承知のとおり。
それでも知らない街はデタラメに歩いたほうが、
カメラに納めたくなる風景に出会えたりしてオモシロイのは確か。
街歩きと宿探しではだいぶ事情が異なりますね。
しばらくしてトラムが交差する通りに行き当たった。
右手には古い建物を利用した『Central Hali(セントラル・ハリ)』というモールが建ち、
左手には『Banya Bashi Mosque(バーニャ・バシ・ジャーミヤ)』という寺院があった。
モスクの周りには10時の開館時間を待っているのか、団体客が手持ち無沙汰にうろついていた。
ちなみに地図がないのに名称がわかるのはその場所に案内版があったため、
このあたりも未整備のバルカン・エリアとは異なるようだ。
モスクの裏手は公園になっていて、夏らしい朝の陽光が噴水に輝き、地元の人が憩いの時を過ごしていた。
手はじめにモールをヒヤカシてみたが、琴線に触れるものはなく、
頼りの両替店もまだ頑丈なシャッターを閉ざしたままだった。
それらをあとに歩みを進めると唐突に遺跡の発掘現場が広がった。(前日の写真5)
続いて小さな『St. Petka of the Sedlers Church(聖ペトカ地下教会)』を過ぎると、だだ広い通りに出くわした。
激しくクルマが行き交う大きな通りの両側サイドにはバカデカイ建物が肩を並べ、
その脇を進むと正面には威圧的な『旧共産党本部』が鎮座していた。
モチロンこの時はこれらの建物がなんであるかはわかっていない。
『旧共産党本部』に刻まれたロシア語に似たキリル文字のブルガリア語が読めるわけではなく、
風景に溶け込んでいない違和感タップリの建物は「旧政権の遺物なんでしょうなあ」ぐらいのものだ。
それでもここが『旧共産党本部』であることは想像できた。
それにしても「旧東側」というか「社会主義政権」ってヤツは権威的な建物がお好きですなあ。(写真4)
『旧共産党本部』の脇を進むと東側には大きな公園が広がっていた。
美術館や博物館、劇場が置かれているエリアの一画に衛兵が守りを固めている。
う~ん、キリル文字読めないよお、ここなんですか、と衛兵に尋ねるわけにもいかず、
クエスチョン・マークを抱えたまま、通りを東に進んだ。
どこかで市内地図を手に入れるまで、ナゾは抱えこんでおこう。
通りを歩いていると時折、声をかけられる。
英語をホトンド発してこないので国内旅行だろうか、
あるいは近隣諸国からの旅行者かわからなかったが、やたらと写真を頼まれる。
一眼レフ片手に歩いていたからか、あるいはただ単に安全そうなバカヅラに見えたのか、
今後はアンケート用紙を配布したほうがいいかもしれない。
国会議事堂目指し、『ツァール・オスヴォボティテル通り』を進むと優美な教会に出会った。(写真6)
『St. Nicholai Church(聖ニコライ教会)』、ロシア正教の教会と記されていた。
ブルガリア人とロシア人では宗派が異なるため、当然、祈りをささげる場所も別、
バルカン・エリアに負けず、ここでもさまざまな宗教、宗派の建物が乱立している。
ロシア正教らしい尖塔はあいにく改装中だったが、外壁は他とは異なり、豪奢な装飾が施されていた。
門扉は解放されていたので遠慮なく、中に進んだ。
外観に負けない色鮮やかなフレスコにしばし見入った。
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第二十一夜 Rustic Reality @Sofia [Bulgaria]
―DAY21― 8月25日(帰国まで5日)
朝8:30、寝台列車は定刻通り、『Sofia Central Station(ソフィア中央駅)』に到着した。
乗客はみな寝ぼけ眼で、ここがどこかも掴めないまま、
それぞれが荷物を背負い、古い車両からプラット・ホームに吐き出されていた。
ベオグラードを時間通り出発した車内ではアチラコチラで歓談が続いていた。
なにせ割り当てられたベッドは座ろうにも背中を折り曲げないことには上段のベッドに頭がぶつかってしまうため、
ほとんどの乗客が通路での立ち話を強いられていた。
もっともその通路も肩を交わさなければならないほどの幅しかないのだが。(写真2)
同じコンパートメントに乗り合わせたアジア人は香港からのカップルで、
ブルガリア・ソフィアからルーアニア、セルビアと回り、
この寝台列車でソフィアに戻ったその日に香港に帰国するらしい。
この旅で香港人と擦れ違ったのは初めてだ。
どうやらカレシは英語が苦手で、旅の主導権は英語が上手なカノジョが握っているらしい。
「カップルで旅行なんて、日本だと親がうるさいけど香港ではどうなの?」なんてツッコンでみたら、
カノジョは思わせぶりに「フフフ」と笑っていた。
どこの国でも旅慣れているのは女性で、しかも肝が据わっているらしい。
トルコ人男性の2人組はやけに明るく、こちらがアジア人だと分かると、
おなじみの「ジャッキー・チェン」「カンフー」のポーズを披露しておどけて見せた。
はい、ジャッキーはこっちじゃなくて彼らの国の担当です。
到着時にイビキを立てていた最下段の男性は列車が動き出してしばらくしてから起き出してきた。
すると同じコンパートメントの面々に旅の行程を問い、
まるで審議官のようにそれぞれの行程を噛みしめ、自分の記憶と擦り合わせて納得していた。
どうやらカナダ人ということはわかったが、アンタはどこから来てどこに行くんだ、とは誰も問わなかった。
トイレや洗面所がどんなものか確認しに行ってみたが、
いずれもできることなら使わないで済ませたいレベルのものがあるだけだった。
隣りの車両は対面4座の「2等車」らしく、こちらも外国人グループでにぎわっている。
自分たちの寝台車両は一応、「1等車」らしく、それ以上いい席もいい車両もない。
1等にも2等にも車内はどうやら外国人旅行者だけしかいないようだった。
長距離バスならもっと早く、快適なので、地元の人や国内旅行者はそちらを選ぶのだろう。
宿代が浮いて、しかも寝ている間に移動できる3,000円ほどの寝台列車はバックパッカーの巣窟のようで、
さながら安宿、安ホステルがそのまま移動しているような状態であることに気づいた。
自撮りやおしゃべりの熱も日付が変わるころには冷め、それぞれが狭いベッドに潜りはじめた。
車内は8月とは思えない冷え込みで、エアコンなど不要、
それどころか備えつけのプランケットでは足りず、バゲージからシャツを多めに取り出し、
即製で季節はずれのミノムシになり、備えた。
ベッドサイズは181cmの身長がピッタリはまり込む長さで、
幅は肩幅に毛が生えたような程度しかなく、
上手に寝返りを打たないと転げ落ちる破目に陥りそうなサイズだった。
ホステルのドミトリーのベッドより遥かに狭く、
「動くホステル」なんて形容をするとホステル業界に怒られるかもしれない。
実はこの「寝ている間に移動できる」というのがこの寝台列車を利用した大きな理由だった。
帰国日まで残された日にちがないことに悩まされていた。
28日夜の出発便で翌29日に日本着となるので、残り日数は「5日」といっても実質3日しかない。
25日ブルガリア・ソフィア入り、
26日ルーマニア・ブカレストで、
27日にはイスタンブールに到着、
28日の夜便までイスタンブールをゆっくり巡りたかった。
そうなると寝台列車、夜行バスの連発でイスタンブールにたどり着く、なんて強硬スケジュールも頭に入れていた。
まずその皮切りがベオグラードからの寝台列車、という選択に至ったのだ。
イスタンブールまで宿に泊まっている余裕がないかもしれない、そんな風に狭い寝台で考えていた。
まだ暗い6時頃、列車は停止した。
車内に制服姿の審査官がやって来て、パスポート・チェックをはじめたようだ、
「パスポートがいるぞ~」なんて声が奥から響いてきた。
ベッドから降り、寝ぼけ顔でパスポートにチョップ(スタンプ)をもらった。
6:30、列車は動き出し、ぼんやりした頭のまま、この旅9ヶ国目の『ブルガリア』に入国したことになった。
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2時間後の8:30、『ソフィア中央駅』のプラットホームに吐き出された乗客に客引きが取り付いてくる。
他にもホームにはバス会社の客引きがいて、声高に次の目的地を叫んでいた。
バスの金額や夜行バスがあるのも知りたかったので、かまわず一人の客引きに声をかけた。
「『ブカレスト』行きたいんだけど」
「これからか? いいぞ、ついて来い」
そういうと待たせてあった客と一緒に駅構内にあるバス会社らしき事務所に連れていかれた。
順にさばかれていく客につづいて、カウンターにつく。
「『ブカレスト』行きの深夜バスはありますか?」
「あるわよ。0:30出発、52レヴァよ」
「『レヴァ』(ブルガリアの現地通貨)をまだ持ってないんだ。カード使える?」
「うちはキャッシュだけなの。彼が両替所へ案内するわ」
そういって先ほどの客引きを呼び寄せた。
バゲージを事務所に置かせてもらい、客引きのオヤジに続いて、両替所へ、
朝から営業しているならこちらも助かる。
夜行バスで発つとなるとここブルガリアではバス代と食事代があれば事足りることになる。
US$40を差し出すとレフ(複数ではレヴァ)と呼ばれる現地通貨が「56」やってきた。
$10=14レヴァ、1レフが70円ほどか。
到着したばかりの文無しとしてはレートなどにこだわっていられないのだ。
あれ? この換算額って、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに似てないか?
得意のシンガポール・ドルに近くて計算しやすかった記憶と重なった。
これで食事代が足りなくなったら市中のレートのいいところで換えてもいいし、
カードが使える店に入って食事してもいい、現地通貨をあまらせたくなかったので、そんな風に考えた。
「さ、行こう」
両替所の外で待っていた客引きオヤジに促され、先ほどの事務所に戻った。
促されなくてもバゲージを預けてあるので戻るのだけどね。
おそらく彼はバス会社からマージンをもらうか、
あるいはチケット代金にコミッションを乗っけられ、こちらが支払わされるか、どちらかの上前をはねるのだろう。
客引きの狙うところは懐の緩い旅行者の小銭だ。
いくらバルカン半島の人々が親切だからといって、朝の到着駅で旅行者を待ち受けてまで親切にするもの好きはいない。
「じゃあ、『ブカレスト』行きを1名分ください」
手渡されたチケットを見ると支払った金額通りの額面が記されていた。
チケットには正しい額面を記さないとね、あとでトラブルになるし、こうして証拠も残るからね。
ブカレスト行き深夜バス=52レヴァ、ソフィア滞在=0:30までと決まった。
「バゲージ預けに行くかい? バス・ターミナルの乗り場も案内するよ」
これでバス会社からマージンがもらえるのか、客引きオヤジは機嫌よくそういった。
駅構内に有料で荷物を預かってくれる場所があることは事前に調べて知っていた。
おまけにバス・ターミナルが中央駅に隣接していることも分かっていたが、
寝不足の頭では断るのもメンドくさく、「案内する」という言葉に乗っかることにした。
デイ・パックに替えのシャツとヒマツブシの文庫本だけ入れ、キャスターバッグを預けた。
「2レヴァよ。23時で閉まるから取りに来てね」
23時ならこちらのバスの時間にも都合いい、こういう小さな幸運は大事にしないとね。
「じゃあ、バス乗り場、案内するよ」
頼んでいないのに客引きオヤジは率先して先導してくれる。
実はこの「頼んでいない」「こちらからは質問していない」というのが重要でこの後、予測通りの展開が起きた。
中央駅の左に折れるとバス会社の事務所と小さなターミナルがあり、
その向こうに近代的な大きな建物が見えた、それが『中央バスターミナル』のようだ。
「ありがとう、バスの乗り場もわかったから案内はもういいよ」
ターミナルに入る手前でそういうと客引きオヤジはおもむろに手を出した。
案の定、「チップをよこせ」ということらしい。
「なに言ってんの?」
寝台列車の寝不足もあってこちらは機嫌がいいとはいえない状態だ。
「チップだよ、アレコレ案内したろ?」
「なんで最初に『チップ』と言わないんだよ。
それにこちらからはなにも頼んでない、アンタが勝手に連れ回しただけだろ?」
「確かになにも頼まれてないけど・・・」
そう言いながらも出した手は引っ込まずにいた。
「最初に『チップがいる』といえば ねえ、残念だねえ。
聞いてないものは払えないねえ」
そういって客引きオヤジを置き去りにしてターミナルの中に進んだ。
ドアの向こうで悪態をつく声が聞こえたが無視した。
ここはブルガリア、どうやらバルカン半島とは毛色が違うようですぜ、ダンナ。
ベオグラードからソフィアへ
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