第十夜 Night of the World Heritage @Kotor [Montenegro]
約束の時間にリビングのテーブルにつくと、そこには4人分のカトラリーがセットされていた。
チェックインの際、夕食の予約を入れているのを見かけた女性は窓辺のテラスで寛ぎ、
階下の狭い路地を行き交う人たちを眺めている。
まだ2人足りなかったが、時間通りに料理は出され、食べはじめるか、という頃合いになり、
ようやくラテン系の男性が2人が顔を出し、予定の4人の顔が揃った。
見知らぬ同士が囲むテーブルなので、あくまでなんとなく、という感じで夕食の時間ははじまった。
「ポーク・チョップ」といわれたそれは焼豚か、あるいは角煮を丸ごと出してきたような迫力の料理で、
さらにその脇にはサワー・ポテトとサワー・キャベツが皿の空白を埋めるように盛られていた。
「パンはいくらでもあるからおかわりしてくれ」
調理を担当していたおじさんスタッフがそういう。
「いや、これ、パンいらないでしょ」
ラテン系のひとりがそういうと「たしかに!」とみなで笑った。
それぞれがボリューム満点の皿と組み合うことに忙しく、
口を小休止させたくなったときに、お互いの旅のルートや予定、自己紹介などを口にした。
見知らぬ同士だが「同じ宿に泊まる仲間」という安心感からか、リラックスした雰囲気が漂っていた。
スタッフの分の賄いも作り終えたモンテネグリンズ(モンテネグロ人のこと)のおじさんは、
コーク片手に隣りの空いたテーブルに腰を下ろし、アレヤコレヤと食事する自分たちに話しかけてきてくれた。
自身も旅が好きらしく、こうして旅している人の話を聞くのが楽しいらしい。
話を聞いたお返しにこの町や近隣の情報をアレコレ教えてくれ、
こちらとしてはありがたい地元情報を得ることができた。
知らない者同士なので、時折、テーブルの上を天使が走る(un ange passe=フランス語)こともあったが、
それもおじさんのおしゃべりが埋めてくれ、シラけた時間を過ごさないで済むこともありがたかった。
ラテン系の男性コンビはヴェネチア郊外に住んでいるイタリア人、
地元からバスで足を延ばしてここまで来たのだが、あまり旅慣れていないらしく、
けっこうトラブル続きの毎日で閉口、ここでやっとひと心地、という感じになったらしい。
コンビの片割れは「旅なんかするもんじゃない」なんて冗談めかして呟いている。
Trableが旅(Travel)の語源、なんて説もあるからね。
テーブル唯一の女性はイングランド人、
留学先のニュージーランドから夏休みにロンドンに帰る前にバルカンを旅しているらしい。
ところがこの女性がクセモノで「英語を早口でまくし立てる」というイヤミな癖を持っていて、
時折、4人の男たちそれぞれに「私が言った英語わかる?」というような感じを出してくるのだ。
彼女に話しかけられると英語が母国語でない男たちは次第に顔を見合わせるようになり、
鼻つまみというか困ったチャンがいるなあ、と思い合っていることがひしひしと伝わってきていた。
どういうわけか英語を母国語にしている人にこの手のタイプが多い。
翻せば英語が母国語でない国の人たちは、互いに不慣れな英語を配慮しつつ話すので、
こういうイヤな空気にはならない傾向がある、会話は相手を思いやらないとね。
こんな風に一人で旅する人はちょっと変わった人が多いよね、と書いている自分も一人旅だが。
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彼女の発言で天使も一瞬にして凍りつくテーブルを温めるが如く、おじさんに話しかけた。
「このサワー・キャベッジのレセピ(レシピの英語発音)、教えてください、日本で作りたい」
「カンタンだよ、刻んで茹でるだけ。で茹で上がりのキャベッジを絞って、ワインビネガーを和えるだけだ」
「へえ、これ、野菜をたくさん摂れていいですね。マッシュ・ポテトにリンゴを入れるのもオドロキです」
「はは、料理のことアレコレ褒められるとウレシイね。なんならもっと食べるかい?」
「いや、食べたいけどムリです。ランチボックスにしてくれたら、明日アルバニアに持っていきます」
彼の厚意をジョークで切り返すとテーブルに笑いが走った、天使も羽ばたいたようだ。
「そういえばティラナに行くんだって?」
「明日、ここを発って向かうんですが、確実な情報が少なくて、ちょっと道のりが不安で」
「バス・ルートは心配ないよ、みなそのルートを使うから迷うこともない。
アルバニアやマケドニアは治安もいいし、人もいいし、なにも心配はないよ」
「ありがとう。それが一番心配だったんですよ、そういう情報はネットにもないので。
モンテネグロ、アルバニア、マケドニアの人たちに明白な違いはあるんですか?
日本人、韓国人、中国人の違いのように。性格とか気質とか」
ドゥブロヴニクでダニエルたちと語らったアジア人にまつわる冗談をかいつまんで話してみせた。
『日本人』は決して国内では被らない真新しい帽子を被り、女性はかならず万全の化粧顔、
以前は真夏でもストッキングを履いていたのですぐに判明したが昨今は「生足」も多く、これは過去のデータに。
『韓国人』は「ドコで買ったんだソレ」というような「奇妙な帽子」に「奇抜なサングラス」、
遠くからでもすぐに分かる。
『中国人』は昨今、ヨーロッパにも急進出中、「余所行きの服装」「塗りたくったような下手な化粧」、
なにしろ「デカイ声で話す」のでどこに居てもすぐ見つかる、というようなことを話すと、
イタリア人コンビは「うんうん」と笑いながら頷いていた。
「ヴェネチアでもそういうアジア系を見かけるよ、
僕らにはアジア系の違いはわかりづらいけど、中国系ならすぐわかる、うるさすぎるからね。
あ、ヨーロピアンは見分けづらいというけど、
スパニッシュは英語を【話せず】、フレンチは英語を【話さず】、イングリッシュは英語しか【話せない】、
なんて意地の悪いジョークもあるよ」
イギリス人の彼女が席を立ったのを狙ってか、ヴェネチアの彼が横からそんな軽口をいい、ウインク。
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楽しそうな彼らのしゃべりに重ねておじさんが語りだした。
「う~ん、宗教とか人種とか異なる点はあるけど、そのジョークみたいな話はないなあ。
モンテネグロは小さな国なので、教育熱心で識字率や就学率が高いんだ。
だからほとんどの国民が英語を話せるんじゃないかな、アルバニアやマケドニアじゃ、こうは通じないよ。
そういう点ではイタリアやスペインの田舎に近いかもね」
「となるとアルバニア、マケドニアはモンテネグロよりもっと田舎、という感じですか?」
「それはぼくの口からはいいづらいなあ」
淹れたてのコーヒーを楽しみながらおじさんとの話しは続いた。
食後の小休止を取り、23時を過ぎてから場内散策に出かけた。
城塞内に泊まる、ということは昼とは異なる夜の景色を見て歩くチャンスがついてくるというわけだ。
一泊のみで別れを告げてしまう小さな町を昼も夜も味わいつくせることにちょっと喜びを感じていた。
レストランの生演奏が石造りの町に響いている、おお、夜歩きにBGMを付けてくれるとは。
この時間となるとガイドに率いられたけたたましい団体客やバスで訪れるツアー客の姿はない。
この町に泊まる人だけ、つまり世界遺産の中に居残る人だけがBARやレストランでグラスを傾けている。
これは「世界遺産滞在特権」といってもいいかな、
このためだけに宿代を払うのは決して高くないんじゃないかい、もっとも9ユーロのドミだけど。
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色鮮やかなネオンもカンバンもない夜の通りを歩く。
水銀灯や蛍光灯の白く強い光とは異なり、古臭い電球や黄色いナトリウム灯の弛緩した明るさが心地よい。
城塞丸ごとの間接照明、っていうのはおおげさな表現か。
深夜に近いというのに散歩している人が多い、治安の心配もないせいか、みな寛いだ時間を過ごしている。
すでに歩きつくした路地や裏通りを昼間の記憶を上書きするように歩き直した。
気に入った場所でカメラを構え、ゆっくり構図を考え、人が立ち去るのを待つ、なにせ時間はたっぷりある。
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第十夜 Walled Town @Kotor [Montenegro]
目的地に到着して、まずやることといえば、次の目的地への道のりをチェックすることだ。
バスならバス・ターミナルで、鉄道なら駅にいる間に時刻と料金を確かめておくとその後が楽になる。
ここヨーロッパでも時間変更やルートの変更などは当たり前で、
WEBなどの情報よりも係員に尋ねる方がより最新でより的確な情報を得ることができる。
料金も尋ねてしまえば、両替金額も調整できるので、こちらは一挙両得というわけですね。
次の目的地であるアルバニア・ティラナ行きのバスを尋ねると「直通バスは出ていない」との悲しいお知らせ。
どうやら隣町で乗り継ぎ、違うバスでティラナを目指すらしい。
とはいえ隣の国の首都に行こうってのに直通バスがない、てのはヘンな話で、
おまけにバス代のユーロも持ち合わせていなかったので、出発時間と運賃だけの情報収集に留めておいた。
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3ヶ国目『Montenegro』、ヴェネティア語で「黒い山」を表す。
幸い英語名も同じ表記、音的にはモンテ・ニーグロという感じだろうか。
モンテネグロ語では『Crna Gora(ツルナ・ゴーラ)』、意味は同じく「黒い山」、
国名が「黒山」って、あんた。
ケーキで有名な『Mont Blanc(モン・ブラン)』、あれ、フランス語ですが直訳すると「白山」です。
なんとまあ、フランス語とは魅惑的響きを持つ言語だこと。
コトールもやはり城塞都市、こうなると「毎月ソウル」ならぬ「毎日城塞都市」、語呂はあまりよろしくない。
小さな城が丸ごと世界遺産になっているのだが、その城塞内部にホステルがある、
というので、今回は迷わずその宿を予約していた。
13:00、城の内部に分け入り、迷ってくださいといわんばかりの小道を辿り、ホステルにチェックイン。
この時間でも部屋に入れるのは12時C/O、12時C/Iというのがヨーロッパの安宿スタイルだからです。
宿は城壁内の石造りの家を改造したもので、
木組みの窓枠やドアが古い日本の教室を思わせ、ひときわクラシカルな感じを醸し出していた。
それでも清潔さは保たれており、スタッフもきびきびと動き、手慣れていて、印象は悪くなかった。
どんなにキレイな宿でもスタッフが悪ければそれで台無し、
安宿は特に人の印象に重きが置かれる、と旅していて感じるのだ。
「お、日本のパスポートですね」
「あまり来ませんか? 日本人は」
「ツアー・バスでたくさん乗りつけてくるけどね、みんな夕方には去っていくんだ、泊まらずに。
個人のお客さん自体が少ないからうちにはあまり来ないよね、今日も日本人はアナタだけですよ」
「なるほど。こんなステキな宿なのに。しかも19ユーロで世界遺産に泊まれるのに」
「じゃあ、ぜひとも日本の人たちに宣伝してくださいよ」
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くだらない話をしながらシャワーの場所やロッカーの使い方などを教えてもらい、
重ねてオススメの両替店と次の目的地ティラナへの行き方を聞いてみた。
横の黒板に大きく「ティラナ、サラエヴォ直通バス」のオプショナル・ツアーの募集告知が記してあったのだ。
「あいにくこのツアーはラウンド・トリップ(往復)だから残念だけど、
ティラナへは隣町の『ウルツィ』で乗り換えて、そこでチケット買って次のバスでティラナへ行けるよ。
ティラナの街に入る前にバンに乗り継いで、街の中心に入ることになると思うよ」
バス・ターミナルで聞いた経由地と同じ情報だったが、
ティラナに着いてからバンに乗り換える、というのが新情報であり、貴重な情報だった。
「なんだかメンドくさいんだね」
「バス・ターミナルが整備されてないからみんなそうやって乗り継いでいくんだ、行けばわかるよ」
現地でないと知りえない情報を教えてもらい、両替店の場所を地図に記してもらっていると、
隣で夕食の予約の相談をしている女性がいた。
「あちらのディナーの予約ってナニ?」
「あ、うちは希望があれば夕食を提供しているんだ。
5ユーロで食べられるけど、キミも申し込む? 今日のメニューはポークソテーだよ」
「え? 間に合うなら頼みたいな。両替しないとキャッシュがないけど」
「お金はあとでもOK、宿代と一緒に払ってくればOKさ。じゃあ、人数に入れておくね」
「ありがとう。なにしろ外で食べると一人は寂しすぎるでしょ」
「それに城の中は高い! ハハハ」
キッチンもある宿なので自炊してもよかったが、5ユーロ(≒675円)はどう考えても安かった。
スタッフの賄いも兼ねているのだろうか、いずれにしろ一人飯の憂き目に遭わなくて済むのはうれしい。
なんにせよチェックインの手続きをしながら、
バスのルート、両替、夕食の予約とリズムよく次のステップが決まっていくのが心地よかった。
「じゃあ、20:30の夕食で会いましょう。あ、リビングのコーヒーは好きに飲んでね。
PCもあるけど、Wi-Fiパスワードいる?」
ロッカーのカギとともにパスワード、そしてうれしいコーヒー情報も教えてくれた。
割り当てられたドミトリー部屋には木製フレームの2段ベッドが4つ、
自分のベッド以外はすでに全部が埋まっていた。(写真3)
バルカン・エリアのドミはほとんどが男女共用だが誰もがそんなことは気にもかけず、気ままに過ごしている。
あとからチェックインする新参者はちょっとばかり肩身が狭い気分で、
「ハーイ」などと声をかけつつ、引きつった笑顔を振りまくぐらいしかできない。
先客に愛想のいいヤツがいれば「どこから来たの?」なんて声をかけてくれることもあり、
そうなると少し溶け込んだ気になり、引きつった笑顔もほぐれるのだが。
古い造りながらエアコンも完備されている、あとはイビキの激しいやつがいないことを願うばかりだ。
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いつものようにベッドに荷物を置き、カメラバッグを手にするとすぐに出かけた。
外は陽が高く、強烈に熱い、ドミのベッドで昼寝していた輩が多かったのはこれが理由か。
アドリア海沿岸に城塞都市が多いのはダルマチア地方の背後にディナール・アルプスが連なり、
アルバニア・ティラナの後ろにもシャール山脈といった壁がそびえており、
かつてのギリシャ時代やマケドニア、ローマの人たちは沿岸だけに興味を抱き、
その背後まで進出しようとはしなかったらしい。
もちろんこれは帰国してから歴史本で学んだ後づけ知識。
要は移動の容易い海上ルートこそ、確保されるものであり、
そのためアドリア海沿岸に転々と城塞都市が築かれ、背後の山の向こうは歴史的に無視されたのですね。
この旅の前半はその沿岸沿いの城塞都市ルートを辿ってきている、というわけで、
旅を終えた後、自分が巡ったところなどをあらためて地図で見直すとおもろいのです、OK、ぐーぐる。
コトール(日本語では『コトル』と表記されることが多いが、現地読みに準じる)は、
今まで巡って来た城塞都市でもっとも小さく、
東側の城壁入口から北西の城壁入口(写真2)まで歩いても10分とかからないが、
その小ささがなんとも魅力的でまるで城を独り占めしたような気分で城内を歩き回ることができた。
高まる気分と反対に8月の日差しの強さには勝てず、主だった所を見た後、教会に潜り込んだ。
『Crkava Sv. Luke(聖ルカ教会)』で月日を重ねたフレスコ画に見入り、(写真6)
『Crkava Sv. Nikole(聖ニコル教会)』で毛色の変わった祭壇に魅入った。(写真8)
小さな城塞都市、と言いながらも案内所でもらった地図は城壁内に9つの教会があることを記していた。
こうなったら昼の熱さしのぎを兼ねて、全部見て歩くかな。
「Montenegro Hostel Kotor」はこの場所↓ ★こちらにレビューあります
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第十夜 Entry to Crna Gora @Kotor [Montenegro]
―DAY10― 8月14日
今日も朝から夏全開、バカンス・シーズンの太陽にバカンスなしといったところか。
宿代を支払ってしまおうと、母屋にいるばあちゃんに声をかけた。
「あら、出発するのかい?」
2泊分の宿代300クーナを手渡すとろくに金額も確かめず、他方に話しが差し向けられた。
「10時のバスでコトールに向かいます。お世話になりました。もう少ししたら出ます」
「まだ数日、居てもいいんだよ~。でも行くんだろうから、わたしもまた客引きに行かないとねえ」
最後もお決まりのフレーズが口を突いて出てきた。
決して美しいとはいえない離れの部屋、母屋の家族と触れ合うことも特になかったが、
民家に泊まって地元生活っぽいことを疑似体験したようで、これはこれで悪くなかった。
貴重なSOBEの2泊も終わりを告げる。
昨夜は『スルジ山』から眺めた「アドリア海の真珠」に魅了された後、3人でディナーを楽しんだ。
「ディナー」と書くと大げさに聞こえるが、旧市街の普通のレストランで夕食を食べただけの話しだ。
海辺の街、ということもあってそれぞれが魚のソテーやカラマリなどのシーフードを頼み、
やって来た皿をお互いにシェアした。
陽が落ちた丘の上は急に冷えだし、肌寒くなったロシア人の彼女は熱い紅茶を欲しがった。
ハンガリー人のダニエルはいつでもどこでもビールらしく、小瓶のボトルを傾け、味わっている。
酒が苦手なこちらはお気に入りの炭酸水を注文し、大きなワイングラスにそれを注ぐ。
飲みたい人は飲むし、ニガテな人は好みのものを、他人になにかを強要したりしないのがこちら流。
一斉に同じものを頼まなければならないドコカの国のテーブルの風習は気持ち悪くもある。
「で、次はどこの街へ行くの?」
「南目指して、コトールに向かおうかと思って。長いバスはちょっと飽きたしね。ふたりは?」
午前中の作戦会議、バルカンを巡るルートをどちらにするか迷ったが、
南下することに決め、コトール行き、10時のバス・チケットを146クーナで購入していた。
実はアルバニア、マケドニアといった日本ではあまり馴染みのない国々に気を惹かれていて、
少しでも早く踏み込みたい、という思いが強かったのだ。
素直にその気分に従おうと、南方面を目指すことにした。
ところがこのルート選択がちょっとしたトラブルを巻き起こすことになるのだが、
この時はまだ気づかずにいた。
「僕らはもうしばらく隣町にいるよ、静かでいいんだ。
そのあとは北に上がってスプリットとプリトゥヴィツェを巡るかな。
そこは行ってみてどうだった?」
「スプリットはザダールと比べると騒がしいかもね、クルーズ客とか多いし。
湖は問題ないよ、ただ事前にネットで入場券を買っておいたほうがいいよ、酷いことになるから。
ああ、バイクで湖周辺を巡れるのはうらやましいなあ」
「なるほどね、スプリット飛ばして湖に行ってもいいかもな」
彼らはこの街で待ち合わせ、これからクロアチアを巡る旅をはじめ、
こちらはクロアチアに別れを告げ、次の街を目指すのだ。
「いいよ、食事代は払うよ。一人で退屈な食事をしなくて済んだんだから。ホント、楽しい時間だったし」
「ダメだよ、3人でシェアしよう。料理もシェア、お金もシェア、
こっちは酒も飲んでいるしフェアじゃないよ」
誘った時点で夕食代を持つつもりでいたのだが、
ビールからワインに切り替えて上機嫌になったのか、こちらを制してダニエルがそう言う。
彼女もこちらの支払いを咎めるようにふざけて勘定書きを隠して微笑んでいた。
「OK。じゃあいつか日本に来ることがあったら日本のオイシイモノをご馳走するよ」
「ワオ!」
ふたりが揃って喜びの声を上げた瞬間、周りの客に睨まれ、思わず3人で目を合わせ、笑った。
彼らのバイクも置いたままだったので、酔い覚ましも兼ねて、宿への夜の道を歩いて帰る。
日付が変わるころにたどり着くと握手とハグを繰り返し、タンデムで走り去る彼らを見送ることで、
それぞれがそれぞれの旅の時間に戻ることになった。
次の街は3ヶ国目のモンテネグロ、通貨はふたたびユーロに戻るので、この国の通貨ともお別れだ。
おばあちゃんに宿代を払った後に残った小銭を使い切るため、
前のスーパーでブランチ用のパンとサラミを買うと手元には4クーナだけが残った。
残ったコインでバスに乗る前にミネラル・ウォーターでも買うか、と思いつつ、
坂を下り、バス・ターミナルに向かった。
バス・ターミナルの売店では4クーナは使い道がないことが判明、
そんなことをしている間にプラット・ホームにやって来たバスの行き先を確認し、トランクに荷物を積み込もうとすると、
ドライバーおやじが無愛想に手を突き出してきた。
「1ユーロ!」
どうやらトランクにラゲッジを積み込むとお金がかかるようで、
バックパック・サイズは車内には持ち込むことができないルールらしい。
「え~?? ユーロ、カバンのなかだよ。クーナじゃダメ?」
「うちはモンテネグロの会社だからクーナは受けつけないよ」
う~ん、国が変わるとバスのシステムも変わるのか~い、と思いつつ、
ちゃっかり残ったクーナで済まそうと思ったのだが、どうやら向こうが一枚上手、
そりゃあ、日々、ややこしいバックパッカー相手にこの手の凌ぎをこなしているのだからね、
一筋縄じゃいきませぬ。
ドライバーおやじはこちらの文句を聞くと積み込んだばかりのキャスター・バッグを丁寧に取り出し、
眼の前に置いてくれた。
こうなるとこちらは無抵抗、カバンの中から大人しく小銭の入った袋を取り出し、
素直に1ユーロを支払うしかことできなかった。
コインと引き換えに領収書を切り、無愛想さはキープしたままで手渡してくれた。
キチンと領収書を出しているのだから、バス会社の正規の料金なのね、コレ。
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そうそう、海外に於いては「わかりづらい」「意味不明」「アヤシゲ」なお金を請求されることがありますが、
レシートをくれるかくれないかで「正規」か「おっさんの懐行き」か見定めることができます。
なので不審に思ったら無言で払うのではなく、キチンと「レシプト!」と強気で言うことが肝心。
荷物を預け、人心地ついたので、手元の4クーナの処理を企んだ。
建物の裏手にある大型スーパーなら、大きな炭酸水を買ってもお釣りがくるのだ。
だがキャスター・バッグの出し入れで時間を取られ、10時の出発時間まで5分しか残っていなかった。
定刻通りに出発するとも思えなかったので、走れば買えるかもしれなかったが、
このときはなんとなく気乗りせず、なんとなくやめておいた。
するとバスは10時キッカリに出発した、
スーパーに走っていたら置いていかれてたんじゃないかい、炭酸水を片手にして。
「なんとなく」は予感というか、危機回避のセンサーが働いたのかいな。
実はバルカン・エリア、意外と時間に正確で
この後も各所で「定刻出発」「予定到着」が守られ、驚かされることになる。
南欧=ラテンのいい加減さに比べると意外と真面目なお国柄なのがびっくりだった。
出発から1時間で国境に到着した。
とはいえ、クロアチア出国のチョップ(スタンプ)はなし、
モンテネグロ入国もパスポートを見るだけ、というカンタンなもの、
やはりここもヨーロッパ、EUに於いては「国境」はもはや「県境」ぐらいの感覚だ。
国境近くの『Herceg Novi(ヘルツェグ・ノヴィ)』を過ぎたあたりから、
バスは内陸に広がる巨大な湾に沿って走り続けた。
車窓には波のない静かな水面が広がっている。
さながら湖を思わせる穏やかな水面に時折、小さな孤島が浮かんでいて、神秘的な空間が広がっていた。
海と繋がる汽水湖を連想させたが、どうやら純粋に海の一部の湾であることは、
後ほど詳細地図を調べてからわかった。
アドリア海へ繋がるコトール湾の出口は異常に狭く、独特の水辺の風景を作り出しているのだった。
車窓から写真を撮りたくなるような美しい風景が続いたが、
バスの窓は太陽光線を遮ってくれるありがたいスモーク入りのガラスで、レンズを向ける気にはならなかった。
できることならちょっとバスを停めて、写真タイムがほしいぐらい穏やかで美しく、
静かで奇妙な風景がそこには広がり続けていた。
こうなると今度は自力でアドリア海、いやコトール湾を訪れるしかないか。
そんなことを考えている間に12:30、バスは予定通りに『Kotor(コトール)』に到着した。
ドゥブロヴニクからコトールへ
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