第二十夜 Sleeper Train @Beograd [Serbia]
陽が傾きはじめた時間、ベオグラードの街歩きを終え、宿に戻った。
チェックアウトの際、「キッチンやシャワー、使ってかまわないよ」という案内をもらっていたので、
預けて置いた荷物を受け取り、その言葉に甘えることにした。
街歩きでベタついたカラダをシャワーでリフレッシュ、シャツを着替え、寝台列車に備えた。
払った金額から想像するとおそらく列車にはシャワーなどないだろう、
有料のコイン・シャワーなどあれば奇跡、車内にエアコンが効くのかもアヤシイと踏んでいる、
そんな「安」寝台車値段だ。
いずれにしろすでにチェックアウトした宿で身づくろいできるのはウレシイ誤算、
ホステルやゲストハウスだとそのあたりはいい意味でレイジーだからね、助かる。
帰り道、ピザ屋で切り売りのピザをテイクアウト、
日本の週刊誌を対角線で切ったぐらいのでっかい三角が100ディナール、
これに昨夜の残った刻み野菜を乗せ、ボリューム増し増しにして、夕食に。
ホステルのリビングにいたドイツ人、フランス人、トルコ人、それにセルビア人のスタッフが加わり、
5ヶ国が入り混じり、ニギヤカなおしゃべりで過ごすことができた。
味気ないピザにおしゃべりは最高のスパイスだ。
それぞれの自己紹介や仕事の話にはじまり、
「アメリカがいかにバカか」というハナシで盛り上がった、
これはヨーロッパではよく交わされる話題、こちらではアメリカはこき下ろしの対象だ。
その後、アッチコッチと話は飛び散ったが、
「どこのホテルが酷かったか」で膨らみをみせ、
翌月から転職してベオグラードで働くことになったというフランス人のツブやき、
「ベッド・バグにやられた」という話しがもっとも笑いをさらった。
「ベッド・バグ」=「寝床の虫」は日本でいう「南京虫」とか性質の悪い「シラミ」の類ですね、
不衛生なベッドに住み着き、翌朝目覚めると全身をヤラれている、というシロモノ。
かつてはホステルやゲストハウスなど安宿につきもの、バックパック旅の名物だったが、
昨今は衛生度も上がり、あまり聞かなくなりつつある。
バックパッカー同士の情報交換では「虫がいるかいないか」が宿選びの重要点だったりね。
「つい先週だよ、ようやく痒くなくなったところだよ」なんてツブやくフランス人の彼に、
「このキレイなホステルにバグを持ち込まないでよ」なんてからかいを入れ、みなで笑った。
こちらの「ベッド・バグ」体験といえば、
このブログを記す少し前、シンガポールから長距離バスでマラッカに向かった際、
そこで泊まった安宿のシングル・ベッドでやられたことがある。
後にも先にもそれ一度コッキリで済んでいるので、「笑い話ネタ」程度の体験かな。
新しいホステルを狙って泊まり歩いているのはこういう一面もあるのですね。
あわせて古い宿の古いベッドは「人型」に凹んでいるので、
寝返りすら打ちづらかったりする、というのもありますぜ。
歴年の加重で真ん中だけ凹んじゃっていて仰向けになると腰が痛い、なんてマットレスも。
「新しい」とか「リニューアル」などという情報は安宿探しの重要点であったりします。
かなり長い時間をオシャベリとコーヒーに費やし、充実した気分で宿を去ることになった。
リビングにいたみなと握手を交わし、世話になったスタッフとメール交換をし、
21時過ぎに駅に向かった。(写真7)
日本とは異なる低いプラット・ホームに古い列車が滑り込んでくる。
ホームにいた駅員にチケットを見せ、指示された車両によじ登る。
外観同様、車内も古びていて、通路は狭く、三段に分かれたベッドが向かい合う客室も狭かった。
子供の頃に乗った「3段ベッドのブルー・トレイン」に比べると
高級ホテルと老朽ホステルのドミトリーほどの差があった。
そういえば「一人旅」のはじまりは親に頼んで乗せてもらったブルー・トレイン「特急富士」だ。
小学生の頃、夏休みとなると毎年、母方の実家がある別府を訪れていた。
初めは寝台列車の「富士」で出向いていたが、
年月を重ねるにつれ、便利な国内線利用に変わっていったのを覚えている。
たぶん親も飛行機のほうが格段に楽だったのだろう。
そんな夏の帰省になっていたのだが、
小学5年の夏、「一人で大分に行ってみるか?」と父親に問われた。
その頃、国内線航空会社には子供をアテンドするサービスがあった。
「スカイメイト」なんていう乗り放題的なサービスもあったっけ。
アテンドのサービスは出発時からCA(当時はスチュワーデス)が付き添い、
到着時の迎えに来ている大人に「手渡し」状態で乗せてくれるサービスで、
父親もそれなら不安も心配もないと思い、そんなことを言い出したのだろう。
ところがこのイカれた小学5年生は「電車で行きたい」と言い出した。
「ブルー・トレイン」は好きだったが、そんなに「鉄分」が多いわけではなく、
圧倒的に近代的な「飛行機」のほうが好きな子供だったのに、だ。
当時、羽田~大分を80分で飛んでしまう『東亜国内航空(TDA)』では物足りない気がして、
そんなことを言い出したのだと思う。
すると父親は「じゃあ、電車でいってこい」と10歳の一人旅をあっさりと許可してくれた。
まあ「一人旅」といっても横浜駅から親に送り出され、
別府駅では叔父が迎えに来ている、というただ列車に乗るだけのシロモノだが。
このときの詳細はあまり覚えていないのだが、鮮明に覚えていることが一つだけある。
3段のベッド(当時)が向かい合うコンパートメント(客室)で
小さな男の子2人を連れた若い夫婦と乗り合わせることになった。
子供一人で乗っているこちらに気を使ってかアレコレ話しかけてくれ、
最終的には「すごいね、おにいちゃん一人で行くんだって」と褒められるにいたり、
やけにくすぐったい気分になっていた。
列車が動き出し、しばらくたった頃、目の前に車内販売が現れた。
そのワゴンから若いお父さんは「カスタード・プリン」を買い求めていた。
自分たちの子供の分だけでなく、こちらにもプリンを買ってくれたのだ。
「がんばって着けるように」という言葉を添えて、一個を手渡してくれた。
だがこのイカレた小学5年のガキは「カスタード・プリン」がニガテだった。
当時、ちょっとお高いプリンだった焼いたタイプのあの苦さと香りがキライだったのだ。
行きずりの大人の親切心を踏みにじるわけにもいかず、「キライ」ですと言出せるわけもなく、
まさに「苦虫を噛み潰す」ような思いで、
苦いカラメルの乗ったプリンを頬張ったことだけが鮮やかに記憶に残っている。
「ブルー・トレイン」と「カスタード・プリン」、どうやらこれが我が「一人旅」のルーツか。
狭いベッドにバゲージを押し込みながら、そんな郷愁が湧き上がってきていた。
あれ、ちょっと待てよ、「寝台列車」って小学5年生のあの時以来じゃないか。
そう思うと小さな笑いがこみ上げてきた、もっとも車内販売はやってきそうにないが。
チケットに記されたベッドは3段のうちの2段目だった。
ベッドには枕とキレイに畳まれたシーツと枕カバーが置かれている。
古い車両に古いベッドだったが、」「ベッド・バグ」には遭わないで済みそうだ。
もっとも翌朝にならないとその結果はわからないが。
同じコンパートメントにはトルコ人が2人、
香港人のカップルがそれぞれのベッドに荷物を押し込んでいたが、
互いにベッドメイクの順番待ちをしなくてはならないほどそのスペースは狭かった。
向かいの最下段のベッドではすでに男が寝息を立てていた。
ベッドは腰かけるには高さがなく、横になる以外に方策がない。
ほとんどの乗客が行き場をなくして客室や通路で立ったまま話をしていた。
列車が走り出していないのに窓から吹き込む風は8月とは思えないほど冷たく、
走行時を心配してか、トルコ人の彼が悪戦苦闘しながらベッドサイドの窓を力強く閉めた。
寝台列車は定刻通り、『ベオグラード中央駅』を出発した。
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第二十夜 Solemn Sunday @Beograd [Serbia]
―DAY20― 8月24日(帰国まで6日)
朝から降り続く小ぬか雨のせいか、ベオグラードの街のド真ん中には人影がなかった。
セルビア入国前の迂回で狂った旅のペースと体調を取り戻し、朝早くから街歩きに繰り出してみたのだが、
肩透かしをくらったような格好になった。
冷静に考えると日曜の午前なので、ただ単に都市部に人がいないだけか、
あるいはミサに出かけるなど宗教的な理由があるのだろうか。
実のところ、そぼ降る雨はあまり関係がないのかもしれない。
小さなキオスクが営業しているだけで、他の店は閉まっている。
カフェはテラス席にイスを並べはじめ、ようやく動き出すような気配、
あるいはセルビアの生活習慣自体が朝はのんびり型なのかもしれない。
ホステルでいくつか教えてもらった両替店もまだ開いておらず、少しばかり早起きを悔いた。
昨夜は広いシャワー・ルームや真新しいキッチンの説明をしてもらった後、
すぐにシャワーを使い、カラダを温め、雨の染み込んだ下着を履き替えた。
体勢を立て直すと雨宿りのサンドウィッチだけでは物足りないことに気づき、買い物に出かけることにした。
ホステルのスタッフは中心部『Terazije(テラジエ)』の反対側に地元の人が使う店があり、
辺りにはテイクアウトのピザ屋も多いよ、なんて情報をホステルのスタッフが教えてくれた。
市バス乗り場にもなっている広場を横切り、スーパーを探すと、
コンビニよりも小さな商店が「スーパーマーケット」のカンバンを掲げていた。
ここですか、とガッカリ感に包まれたが、店からは頻繁に地元の人が出入りしている。
どうやら中心部で人気の店らしかった。
地元の人に混ざり、狭いレジに並び、切り分けられた野菜のパックと野太いソーセージを買い、宿に戻った。
明るい光を放つピザ屋も気になったが、夕食を作る気になっていたのは、
ピカピカのキッチンにコーヒー・サーバーが置かれていたことが理由かもしれない。
コーヒーやお茶はバッグに詰め込んで持参しているが飲む量に限りがあるので、
ロビーやキッチンにコーヒーや紅茶が置かれているだけで少しばかりウレシイ気分に至る。
たとえそれが安宿であっても、ね。
すみません、コーヒー・サーバーのあるなしで宿を選ぶ変わり者がここにおります。
据え付けのオーブンはまだ誰も使っていなかったらしく、スタッフに尋ねても使い方がおぼつかなかった。
明るいリビングでは話し相手にトルコからの旅行者をゲット、
ホステルのパブリック・スペースはさびしい一人飯を回避できるのも大きな魅力だ。
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ひと気のない朝の目抜き通りの写真を撮り、一旦、宿に戻った。
両替店が開く11時にあらためて出かけ直し、$60を両替し、5190ディナールを確保する。
$10あたり865ディナール、昨夜のバス・ターミナルとは10ディナールほどの差か。
宿代と次の街への足代を考え、ハンパな金額を両替したのは、
連日、国が変わり、通貨が変わるので、現地通貨を残さないための作戦だ。
今回は「超」円高時に換金したUS$を持参してきてますが、
日本から海外に行く場合、千円札を多めに用意しておくのがお得で上手な両替法ですよん。
両替を終え、『テラジエ』周辺をブラつくが、昼に近い時間になっても人影は少ない、やっぱり日曜だからか。
セルビア正教も午前中は教会へ行くのか、モスリムもカトリックもいる国だから曜日は関係ないか、
アレコレ勝手に想像を巡らせながら、ひと気のない『Kneza Milosa St.(クネズ・ミロシュ通り)』を歩き、
国会議事堂を過ぎると爆撃の跡が生々しく残るビルに出会った。
NATOの空爆跡、ああ、ここが『空爆通り』か、などと行き当たりばったりな感想を漏らしつつ、
小高い丘から『Glavna Zeleznicka Stanica(ベオグラード中央駅)』に向かい、坂を下った。(写真3)
次の街ブルガリアの『ソフィア』へは「寝台列車が安い」という情報を拾っていた。
旅の日程も迫っていたので夜の時間を移動に費やせるのは都合がいい、
おまけに安いというのなら使わない手はないんでないかい、ということで駅にやって来たのだ。
「『ソフィア行き』の列車の時刻と料金を教えてください」
駅の窓口でそう尋ねたが、「日曜はない」とか「4000」とか「3000ディナール」とか、
どうも男性係員のいうことがあやふやで役に立たない。
他の窓口に行き、あらためて尋ねるとガラスの向こうの強面オバチャンは、
「22:00発、3200ディナール」とぶっきらぼうに答えながらも、その2つの数字をシッカリ紙に書いて渡してくれた。
確実な情報を得たので、チケットを買い求め、紙に書かれた金額を支払った。
「今夜の列車は2ndクラスだけよ、時間前にプラット・ホームに来て」と言って、チケットを切ってくれた。
「安い」という話は聞いていたが3500円の寝台列車ってスゴくないかい。
チケットを手にし、その足でホステルに戻り、865ディナールの宿代を払った。
なにか気になる数字、と思ったら、さっき両替した$10のレートそのものだ、
この夏の対日本円のUS$レートは100円を切っているので、ドミトリーは1000円しないということだ。
「『ソフィア』行きのチケット買えたよ。ここにもう一泊したかったけどチェックアウトだね」
「イスタンブールから帰る日が迫っているんだっけ? またあらためてベオグラードに来てよ」
「ぜひまた来たいし、ここにもまた泊まりたいと思ってるよ。夜の列車逃したら泊めてもらうかもね」
「そうならないことを祈っているよ。それとまた来られることも」
アレコレ教えてもらったスタッフと握手を交わし、バゲージを預け、出かけた。
昼を過ぎたというのに肌寒く、荷物を預ける前にチノパンツを取り出し、履き替えていた。
バルカンを北に上がって来てはいたがそれにしては気温が低すぎる、夏の気温とは思えない冷え込み。
まさか短パンをしまい、ロングのパンツで街歩きすることになるとは、雨上りの風が肌寒さに拍車をかけている。
バゲージなしの身軽なスタイルで街歩き、まずは要塞の跡地にある『Kalemegdan Park(カレメグダン公園)』へ。
ここに来るとようやく家族連れやカップルの姿を見かけた。
城門前の公園では小さな「恐竜展」が開かれていて、子供たちが奇声を上げている。
『軍事博物館』の屋外展示だろうか、城壁前に並ぶ兵器の前では学生グループがはしゃいでいた。
敷地奥の切り立った丘からはドナウ川とサヴァ川が交わる美しい景観が見渡せ、
対岸には日本大使館などがある新市街『ノヴィ・ベオグラード』が広がっている。(写真5)
夏ということを忘れていたのか、ようやく日差しが降り注ぎはじめてきていた。
もらった市内地図にある教会マークをしらみつぶしに歩くつもりで、
まずは『The Orthodox Cathedral(セルビア正教大聖堂)』を目指した。
日本人旅行者に人気のホテルが毎日値下げ・バーゲンハンター
なんでもない路地で2人組の年配女性に声をかけられた。
「すみません、写真を撮ってもらえますか?」
「かまいませんけど、ここでですか?」
彼女らはなんの特徴もない建物の白い壁の前に立っている。
「はい、ぜひ、ここで」
言われたまま、殺風景な建物をバックに2人のカメラで写真を撮った。
「あのお、ここってなにか重要な建物なのですか?」
カメラを手渡しながらそう尋ねる。
「ふふふ。わたしたちは20年前にここの学校に通っていたんですよ。
20年ぶりに揃ってここに来られるなんて、ねえ」
どうやら「小さな同窓会」の撮影係を仰せつかったようだ。
ふたりの女性は嬉しそうに笑いあっている、この瞬間は「学生」に戻っていたのかもしれない。
『セルビア正教大聖堂』に足を踏み入れると、ただただ荘厳な雰囲気に包まれていった。
カトリックとは毛色の違う豪奢な装飾、素朴なフレスコ画を眼にし、完全に気圧される。
表に出ると背の高い帽子を被り、重厚な聖衣に身を包んだ司教が横断歩道を渡っていった。
歴史ある大聖堂、気高い聖職者、なにもかもが浮世離れしている気がした。
ただし現実の信号は赤だったが。
そういえばバルカンの人たちは信号をキチンと守る、クルマも歩行者に道を譲り、優しいドライバーが多い。
穿った言い方になるかもしれないが、基本、ヨーロッパでは信号を守らない人が多い。
「法律」や「ルール」は生活や社会を快適に過ごすために定められたもの、と考えるため、
快適さを阻害する「赤信号」は守らなくても当然と考える人が多い、という話を聞いた。
「快」を保つためには「不快」を阻害してかまわない、基本は「自由」であるべきと考えるようで、
「法律」や「ルール」に縛られ、「不快さ」が勝っていくどこかの国とは大きく異なるのだ。
こちらでは「深夜、無人の赤信号でも止まる極東の国のクルマ」がUPされた動画サイトが話題になるほどだ。
旧ユーゴの首都を味わう時間はたっぷり、寝台列車が走り出すまで味わいつくさなくては。
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第十九夜 Former Capital of Jugoslavija @Beograd [Serbia]
―DAY19― 8月23日(帰国まで7日)
今朝も晴れ渡り、部屋がある2階のテラスには眩しい光が差し込んでいた。
昨夜は旧市街をくまなく歩いてみたが、ニギヤカな観光客に押され、
写真が撮れなくなる日没にも追われ、夜の帳の訪れとともにトロリー・バスでやって来た道を戻った。
宿に近い商店街で夕食を取れる食堂を探したが、それらしい店は閉まっていてシャット・アウト。
金曜なのでモスリム系だとすると「休養日」にあたるのかもしれない。
結局、大型スーパーにあったベーカリーでミートパイとチョコタルト、そして熱いコーヒーを買った。
この時点で食欲よりも疲労が勝っていたが、
それらを胃袋に押し込むことでなんとかコールド・ゲームを避け、ベッドに潜り込んで長い一日を終えた。
早起きして駆け足で巡った旧市街にあらためて繰り出すことなどに思いを駆け巡らせてはみたものの、
朝になってもポドゴリツァのバス・ターミナルの夜明かしと長距離移動の疲れはタップリ残っていて、
広くて清潔なベッドが出かけることを許してくれなかった。
嫉妬深いベッドで放電し過ぎた電池をシッカリ充電することに決めた。
たっぷりの充電を終えると今度は胃袋が放電状態になっていた。
午前中の日差しが眩しいテラスにあったテーブルで昨日の残りのチョコタルトを頬張り、ささやかな朝食。
熱いコーヒーを飲みたかったが、下に降りてお湯をもらうために声をかける気にはならなかった。
一度崩れた信頼は取り戻せないのだよ、ベイビー。
11:00までベッドに身を委ねた後、無表情なオーナーにカギを戻し、
こちらも無感情に宿代30マルカを支払うと無感動のままチェックアウトした。
11:50の『ベオグラード』行きのバスに乗るため、ほど近いバス・ターミナルまで歩き、窓口でチケットを買う。
「次のバスは12:30、40,5マルカよ」
昨日、到着時に尋ねた時は「ベオグラード行きは11:50」といわれたのだが、
あるいは今日が土曜日なのでダイヤが異なっていたのかもしれない。
いずれにしろ次のバスは12:30らしいので、40,5マルカでそのチケットを購入し、
隣接のカフェで熱いコーヒーを頼み、バスを待った。
いつものようにバスは定刻通りに出発した。
今回は久々、「荷物代金」=1マルカを取られた、バスはキレイな新型だ。(写真5)
途中の町々のターミナルに止まりながらバスは走りを重ねる。
ターミナルが「トイレ休憩代わり」になるのだが、この国のバス・ターミナルのトイレは有料、
手元に「マルカ」の小銭が残っていたので問題ないが、旧ヨーロッパのスタイルが少しばかり煩わしくあった。
バスは景観が美しい峠を走り続け、
16:05、『Zvornik(ズヴォルニク)』のバス・ターミナルで停車、濃い緑色の川では釣りをしている人が多い。(写真6)
ここで客を拾うとすぐにボーダーが登場、まずは「ボスニア=ヘルツェゴヴィナ」の出国手続きだ。
16:15、続いてセルビア側へ、遠回りしてきた身としては入国できるか少しばかり不安になりながら手続きを待った。
16:35、その心配もどこ吹く風、事も無げに『Servia(セルビア)』入国完遂、バルカン半島8ヶ国目を数えた。
17:15、セルビア最初の町に停車、多くの客が降りていく。
18:00、カフェ・ストップ(ここのトレイは無料ね)、
20:00、キッチリ定刻通り、セルビアの首都『Beograd(ベオグラード』に到着した。
大きな街で出迎えてくれたのは激しい雨で、暗い空には頻繁に稲光も走っていた。
降ろされた場所は雨宿りする屋根幅が狭く、待機の客は肩を濡らしながらバスを待っていた。
到着時の儀式と化している次の街への「バス時刻」と「料金」を尋ねたかったので、
叩きつけてくる雨におかまいなく屋外にあったチケット窓口に張りつくと、
1ブロック南側の『ベオグラード本駅』に隣接したバス・ターミナルへ行け、といわれた。
ここは『ラスタ社専用のバス・ターミナル』らしく、他社のバスは別のターミナルらしいのだが、
到着時点ではバス・ターミナルなんてものがいくつもあるとは思えず、
不可解な状況と不愉快な天気に出くわし、少しばかり戸惑っていた。
アドバイスをもらったものの、前が見えないほど落ちてくる雨には白旗を掲げるしかなく、
人々が雨宿りしていたカフェの軒先で同じように肩を並べ、荷物を下ろし、濡れたシャツを絞り、着替えた。
30分ほど待ち、小降りになったところで鉄道駅に近いバス・ターミナルに向かった。
翌日のバス情報を尋ね、値段を教えてもらい、時間をツブしてみたがまだ雨は止みそうにない。
ただ待っているのもバカらしかったので、カフェで軽い夕食にするかと、その場で$10だけ両替した。
手元に857ディナールがやって来たということは、1ディナール≒1,2円ほどかな。
まあ、こういう状況ではレートは気にしていられないからね。
「ズブ濡れだけどいいかな?」
アタマから水を滴らせ、濡れたバッグを背負った身でカフェに入り、尋ねた。
「ダイジョウブ? タオルある? 大変ね」
「タオルなら持ってるから座ったら使うことにするよ」
どうやらズブ濡れの客でも受け入れてくれる心優しいカフェらしい、
髪からポタポタ落ちる水滴を見て笑われはしたが。
サンドウィッチとカプチーノを頼み、席に着き、バックパックからタオルを取り出し、水滴を拭いた。
その後、長っ尻のイヤな客と化し、小一時間をカフェで過ごす、時折、外の様子を眺め、雨が止むのを待ちつつ。
水も滴るナントカからはほど遠いだろうが、スタッフのおばちゃんたちは閉店前の片づけをしながら笑顔で送り出してくれた。
雨はウソのようにピタリと止んでいて、石畳の路面が美しくキラめいていた。
ベオグラードの街は小高い丘にあるらしく、街の中心を目指して歩くと緩く長い坂が続き、
荷物を背負っている身としてはシンドイ道のりが続いた。
目指すホステルはまさに街のど真ん中にあった。
「Downtown Central Hostel」の名のとおり、予想を超えるロケーション、本当に街の中心なのだ。
今回の旅は「新しい宿」を狙うか、「バス・ターミナルそば」を狙って泊まっている。
そうなると「新しい」ことを優先した宿を選んだ際はあまりロケーションを気にしていなかったのだ。
ヨーロッパに於いて街の「中心」にあるホステルやゲストハウスは古くから営んでいるものがホトンドだ。
新規、新設、新鋭の安宿はどうしても町外れのロケーションを強いられるわけですね、後発なので。
ガードマンがいるオフィスビル、古いタイプのリフトで上階に上がり、
扉を開くとまぶしく新しいホステルが出迎えてくれた。
「すごいキレイですね」
世間話をしながら、名前を告げ、予約番号とパスポートを差し出し、チェックインの手続きをしてもらう。
「この6月にオープンしたばかりなんですよ。
お、日本の人? この宿初の日本人ですよ」
「それは光栄です。それにしてもこんな街の中心でこんな新しくてキレイなホステルなんてオドロキです」
新しい宿を狙ってブッキングを重ねているので「初めての日本人」と言われるのは何度目だろう。
そろそろ星印か勲章でももらえるかもしれない。
「雨、ひどかったんですね、だいぶ濡れたみたいですね。ここだと外の様子がわからないんで」
「はい、実はアンダーウェア(下着)まで濡れてます」
そんな告白をすると互いに笑いが漏れた。
21:30、ようやく今夜の寝床にたどり着いた、バスを降りてから一時間半が経過している。
なにはともあれ、入れなかった「セルビア」に入国し、「ベオグラード」にいることは確かだった。
サラエヴォからベオグラードへ
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夜行列車の車窓から from Beograd [Serbia]
8月24日13時、日曜のベオグラードです。
アルバニア・ティラナからマケドニア行きのバスを待っている、
と前回記したとおり、このミニバスはオフリッドの街までダイレクトで、
手間ナシ苦労ナシで5ヶ国目に突入、このバスはほんとラッキーでした。
ただし到着が遅い時間だったので、
熱い暑いバスで仲良くなったドイツ3人組と夕食を共にすることができず、
それがチト残念でしたが、日程的に連泊する余裕はなく、20日朝に首都スコピエへ。
ここでもニュージーランドの同じような一人旅男とホステルで親しくなり、
夕食を共にし、夜の旧市街をぶらつき、ビールを傾けた。
退屈な一人旅、テーブルや語らいを共にしてくれる相手がいるのは嬉しかったりします。
もっとも「男」が相手だから嬉しいわけではないですぜ、そっちの趣味はナイ。
21日夕刻、とんとん拍子で6ヶ国目、コソヴォの首都プリシュティナに到着。
ここでは宿で自炊していたスイス男x2と夕食を共にし、
(彼らはパスタ、こちらは街角でローストチキン丸ごと=タッカンマリだな、を購入)
旅の情報交換などをしていると彼らがやたらに日本に詳しいことが判明した。
世界のキタノからチヒロまで、果てはヤマブシからブルセラ、アキバと、
こちらが驚くような単語が飛び出してきてはその都度、説明を求められ、
納得と爆笑が渦巻く楽しい時間が過ぎていった。
おまけにスイス人の片割れは釜山に1年間の留学経験があるそうで、
「キムチ食べたい」とツブやくというオチまでつけてくれた。
ずんずんとバルカンを北上して、さあ次はセルビア、と意気込み、
22日18:30、ノヴィ・パザール行きバスのトランクに荷物を放り込むと、
「パスポート用意した? セルビアのチョップ(スタンプ)、ある?」
とコソヴォからセルビアに帰るというセルビア人に話しかけられた。
「え? アルバニア~マケドニア~コソヴォと来たからないけど?」
と答えると「それだと国境を越えられない可能性がある」という。
セルビアはコソヴォの独立を承認しておらず、
「国土の一部」という主張の政治的背景は知っていたが、そういう障壁があろうとは。
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「え。じゃあ、国境で降ろされる可能性がある?」
「十分あるし、通れるかもしれないし、どうかわからない、ただ可能性は低い」
「え。じゃあ、どうしたらいい?」
「とりあえずこのバスでは行かないほうがいい。
隣のバスが19:00のモンテネグロ・ポドリゴリツァ行きだから、
そいつでモンテネグロ~ボスニア~セルビアという迂回ルートで行ったほうが安全だよ」
英語ができないバス・ドライバーも車掌も頷いている。
迷っている暇も意味もなく、即決で行先変更。
30分後のウルツィニ行きのバスでモンテネグロの首都ポドゴリツァ途中下車。
3時前、ポドゴリツァに降り立った。
サラエヴォ行きのバスは7:40。
首都のバス・ターミナルとはいえ、深夜は心寂しい。
ベンチで4人ほどが横になり、カフェで4人ほどがコーヒーを傾けている。
幸い、このカフェにWi-Fiがあったので、マキアートとネットでヒマツブシ。
予定通り、キッチリ7時間後の14:40、サラエヴォに到着。
バスでよく眠れたのと横になると一日がツブれてしまいそうな気がしたので、
宿に荷物を置き、シャワーでリフレッシュして、街歩きに出かけた。
そして23日、昼のバスでセルビアへ。
コソヴォからではないので入れない理由はないのだが、国境ではちょっとドキドキ。
コソヴォの入国スタンプに取り消し印を押されることもなく、そのまま入国。
またまた7時間のバス旅は定刻通り、20時にベオグラード到着。
ただしここで出迎えてくれたのは雷を伴った集中豪雨。
誰もがみなバスターミナルの屋根の下から動けないでいる。
前が見えなくなるほどの雨が路面を叩き、
降車ターミナルからメインビルに走っただけでパンツまでピショビショ。
やむなく少額両替し、カフェでカフェラテとサンドイッチの夕食タイム。
小一時間で小康状態、ネットでブッキングした街の中心にあるホステルを目指す。
すると光り輝く、といってもいいぐらいキレイな宿がお出迎え。
話しを聞くと開業して、まだ20日だという、わお。
24日、日曜はヨーロッパの例に漏れず、ベオラードでも店は閉まり、街は眠りに就いたまま。
先ほどブルガリア・ソフィア行きの夜行列車のチケット購入、こちらの旅も20日が経過した。
マイナスがあればプラスもあり、なんとなく旅の帳尻は合っていくらしい。
写真1; オフリッドの湖に臨む教会。バルカン半島には蝉がおらず、昼間でも観光客がいなければ静寂が。
写真2; スコピオの旧市街市場。桃x2個買い、「袋要らない」といったら、
「裏手に水道があるからそこで洗うといい」、さすがわかってらっしゃる。
写真3; サラエヴォの路面電車は旧東側の遺物だが、未だ現役なのだ。
写真4; ベオグラード、日曜午前、雨、ということでカフェには人がいない。
おまけに8月だというのにストーブが焚かれてますぜ、ダンナ。
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