第十六夜 Old Market @Skopje [Macedonia]
―DAY16― 8月20日
スコピエの朝は肌寒く、羽織ものが欲しくなるぐらいだ、昼は40度を超えるというのに。
キッチンで見様見真似のやり方でマケドニア式のコーヒーを淹れ、
そいつで温まりながらスーパーで買ったパンを齧った。
すると同じ部屋からアジア系の男の子が疲れた顔で現れた。
「チュッタ?(寒い?)
アンニョン・ハセヨ、イルボン・サラン・イムニダ。(おはよう、日本人です)」
ヘタクソな韓国語でそう話しかけると薄着で寒そうにしていた彼は驚いた表情をした。
マケドニアの首都のドミトリーで母国語で話しかけられるとは予想してなかったのだろう。
「なんで韓国語? にほんじんデショ?」
「アイサツだけですよ。あとは英語でいいかな?」
昨夜、ベッドにハングルの本が置いてあったのを見かけ、唐突に挑んでみた。
それにバルカン半島で出会った一人旅のアジア系といえば、
日本人はティラナでの一人のみで残りはすべて韓国人だった。
こちらが「毎月ソウル」と称し、足繁くソウルに通っていることを話し、韓国語もその経験で覚えたことを説明した。
「ここ、朝食あるんですか?」
「いや、これは自分で買ったやつ。よかったら食べる?」
そういって大袋に入ったデニッシュを彼に差し出した。
「いいんですか? アリガトゴザマス」
「ハンといいます」といってパンに齧りついた彼は上海から陸路でキルギスに入り、ここに至ったそうで半年間の旅らしい。
すでに大学卒業は決まっているのだが、就職せずに旅を続けたいらしく、
「USAをドライブ」で横断したあとに「南米も巡りたい」と考えているそうだ、若者の夢は大きい。
4週間で長い旅路、などというと笑われるような出会いばかりが続く。
午後のバスで次の国コソヴォの首都プリシュティナへ向かうつもりだったので、出かけることにした。
まずその前に昨日、チェックインの際、バタついて払いそびれていた宿代370デナリを支払った。
オフリッドと併せて泊まると安くなる、というハナシだったが、いくら安くなるのかは聞くのは野暮だろう。
ただ他の宿泊客が払う金額より少なかったのは確かで昼飯代が浮いた、と勝手に思っておくことにした。
続いてすぐ隣のバス・ターミナルに向かい、チケットをゲット、
手元にマケドニアの現金が少なかったのでカードで320デナリを支払った。
バスは何本かあるうちから15:00の便をチョイス、これなら残りの時間でスコピエをゆっくり巡ることができる。
昨夜は『Stara Čaršija(スタラ・チャルシヤ)』と呼ばれるオールド・バザール・エリア、
そこにあった飲み屋通りのBARのテラス席で日付が変わるまで話しが盛り上がった。
これから行く街の情報など旅ネタを中心にとりとめのないハナシがホトンドだったが、
違う国の違う人、違う視点の話をアレコレ聞けるのはそれだけで刺激になり、
深夜というのに脳みそはやけに冴えていった。
通りすがりの男に「警告」をもらったが、特に気を使うような場面には出くわさなかった。
彼の強い思い込みによるものかもしれなかったが、
ここバルカンでは同じ国でも民族、宗教が違うことはザラで、
たとえ同じ民族だとしても、宗教が違えばコミュニティも異なっていくという、
単一民族の国からきた身としてはなかなか理解が難しい現地情勢であることを教えてもらう形になった。
この後、さらにバルカン半島のディープなところに進んでいくとその複雑な情勢がいろいろ垣間見えてくることになる。
おまけにこのバカな旅人はその「現地情勢」の煽りを食らうことになるのだが、モチロンこの時点ではまだ知らないでいる。
同じ道を歩いてもつまらない、ということでBARの帰りは『凱旋門』や『戦没者慰霊碑』などを巡りながら宿に戻った。
「『Millenium Cross(ミレニアム・クロス)』行ってみた?」
「ああいうのはカップル専用でしょ?」
河を背にし、東の山あいを望むとライトアップされた十字架が浮かんでいる。(前日写真5)
この街の新しいシンボルらしく、3年ほど前にロープウェイも引かれ、国内旅行者を集めているようだ。
それにしてもこの街はどこを歩いても銅像だらけ、ラルフは通りの先に新しい銅像を見つける度に楽しそうに眺めている。
昨夜飲み交わした『スタラ・チャルシヤ』をふたたび目指す。
朝の肌寒さはどこへやら、すでにきつい陽射しが降り注いでいた。
商店が並ぶ通りを抜け、大通りを越える陸橋を渡り、城塞が見える方向へ歩みを進めた。
奥へ進むと『オールド・バザール』と呼ばれる市場があるらしく、なんとなくそちらを目指して歩いたが、
それらしい場所には当たらず、舗装の行き届かない路地裏を迷い歩いていた。
そろそろ探りを入れるかと、テラスの階段でタバコを吸っている男性に声をかけた。
「すみません、『オールド・バザール』はどっちですか?」
「そっちじゃなくて、こっちに進めば行き当たるよ。君はナニ人?」
どうやら大回りして歩いていたようで近道を教えてくれた。
「日本人です」
「この国で日本人はめずらしいね。旅行者かい?」
「半分旅行で半分仕事ですね、フリーランスのライターなので」
「それはなおさらおもしろい。よかったらホテル、観ていかないか?」
宿から歩いてきていたので、かなり汗だくになっていてエアコンが恋しかったこともあり、お招きに預かることにした。
ビジネス・カード(名刺)を交換し、こちらの身分を明かすとマネージャーの彼は嬉しそうにマスター・キーを手にした。
「4ヶ月前にオープンしたばかりのホテルなんだ、部屋も観ていってくれよ。
日本のガイドブックに書いてくれたら日本からのお客さんがたくさん来るかな、そうだとうれしいね~」
『Hotel Gold』の名もそのままに金色を多く使った部屋の内装は豪華で煌びやかだ。
「この内装、中国系のお客さんにはすごく評判がいいんだ」
(だろうねえ、でも日本人にはどうだろう?)と思いつつ、彼の後に続くと3つほど部屋を見せてくれた。(写真5)
記事になることがあれば、ホテルを紹介することはやぶさかではなかったが、
それよりも通りすがりの旅行者に部屋を見せてくれる心意気がうれしかった。
エアコンの効いた建物でカラダを冷やし、
汗だくのこちらを見かねたのかミネラル・ウォーターのボトルまでもらってしまっていた。
ここでもバルカンの人たちは底抜けに親切だ。
「ありがとうございました。記事になるかわかりませんが写真はいただいていきます」
「ニホンのお客さんが来ることを期待しているよ!」
マネージャーに教えてもらった方向へ行くとこともなく市場にたどり着いた。
異形の野菜、色彩の違う果物、やはり市場は無条件に楽しい。
「写真撮らせて」というと笑われ続けた、野菜の写真を撮る物好きもいないのだろう。
「ちゃいな?」「NO!ジャパン」「お~、じゃぽん」こんなやり取りが繰り返される。
「ハーイ、ジャパーン!」意味なくただ呼ばれ、時には握手も求められた。
カメラ片手の旅行者からいつのまにかタレントのような扱いになっている。
市場の人たちにからかわれているのかもしれなかったが、
ここでくじけたりうんざりすると負けるような気がして、むやみに元気に受け答えすることにした。
悪意は感じなかったのでバルカンの人の無邪気さであることを願いつつ、その無邪気さに負けない無邪気さを装った。
「モモ、クダサイ」
暑さに負けてフルーツでエネルギー補給、うず高く積まれた桃を指さした。
「どっちがいい?」
「ドッチって?」
「『固いの』と『柔らかいの』だよ」
「おお~、そういうことか。じゃあ、両方ください」
もはや英語はまったく通じていない、身振りと手振り、ニュアンスとイメージで相手の言っていることを理解するだけだ。
なにせこの国に来てからは書いてあることすら理解ができなくなっている、
アルファベットなら音をたどることもできるが、
「キリル文字」というギリシャだかロシアだかのスラブ系の読めない文字がホトンドなのだ
「10デナリだ、袋いるかい?」
「すぐ食べるからいらない」
ソフトボールぐらいある桃が2個で20円(!)、八百屋のニイチャンがうまそうなやつを見繕ってくれた。(写真8)
「食べるなら後ろに水道があるから、あそこで洗って食べな」
もちろんナニを言っているかわからないのだが、そんな感じで会話的なものが成り立っていた。
市場の裏手にある水道で桃を洗うとさっきのニイチャンがこちらを見てきたので、
桃を掲げ、カブりついて見せると、親指を立てて笑っていた。
ひとつはパキパキにプラムのように固く、ひとつは日本の桃に近い歯触り、
もちろん甘さは日本の桃には遠く及ばないが、1個10円、市場直送ならすべて許せないか。
すでに40度近い気温の下、ざっくり洗っただけの桃がカラダに染み渡っていく。
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第十五夜 Another Community @Skopje [Macedonia]
フレッシュなコーヒーとフレッシュなドミトリーに出会い、移動の疲れは吹き飛んでいた。
いつもなら荷物を置いてすぐ出かけるところだが、コーヒーの香りに足止めされ、
「ラルフ」と名乗るニュージーランド人とのコーヒー・タイムが盛り上がり、少しばかり出かけるタイミングを失っていた。
「ベッド、空いてますか?」
そこに2名のウォークイン客がドアを叩き、空き状況を尋ねてきた。
「空き」を確かめると外で待っていた仲間を呼び寄せ、ホステルは急に慌ただしくなった。
彼らはなんと12名のグループだという。
近郊の森でトレッキングしていた際ににわか雨に降られたらしく、
上着もバックパックもズブ濡れでみなが疲れた顔をしていた。
「こっち、座れば?」
空になったカップを下げ、リビングのシートを彼らに譲った。
英語がニガテな人がほとんどのようでどこから来たのか尋ねると「チェコ」というシンプルな回答だけがきた。
「悪いわね、場所取っちゃって」
オーナーのニコレッタさんが気を使って言う。
「いいんですよ。大口客だから、ビジネスに専念してください」
「たしかにビッグ・ビジネスだわ」
明るいジョークで返してきた彼女に「出かけてきますね」と声をかけ、ホステルを後にした。
バス・ターミナルから『ヴァルダル河』へ向かう途中、大きなショッピング・モールを発見。
『Skopje Shoping Center(スコピエ・ショッピング・センター)』と書かれた大きなモールだったが、
お世辞にも盛況とは言い難く、アジアの田舎のショッピング・ビルのようにシャッターを下ろした店舗が多く、
ビル内はひなびた感じが漂っていた。
大型スーパーが中にあり、そこだけは客を集めている。
旅先でスーパーを見つけ出すと滞在のリズムを掴んだ気になり、見知らぬ街の緊張が少しだけ解けたような気になる。
マケドニアの首都でもまずはひと安心、なんのための安心だ?
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『Vardar(ヴァルダル河)』沿いは広い舗道になっていて、キックボードの子供やスケボー、自転車も行き交っている。
対岸には得体のしれないバカデカイ建物が鎮座していた。
見ている者の遠近感を狂わすようなサイズ感で、そいつが軒を連ねている。
社会主義のユーゴ時代に作られたものだろうか、どう見ても政府関連の建物にしか思えない荘厳さだったが、
歩きながらではその建物がナニなのかも確かめようはない。
そこが博物館や劇場であることがわかったのは宿に戻って、ネットで地図を見てからだった。
橋には大きな彫像がいくつも置かれ、辺りのカフェや土産店とのバランスがいかにも狂っている。
パースが狂っているというか、遠近法がおかしくなっているというか、そういう感じなのだ。
「マケドニア」という国の首都のド真ん中で、なんだか不思議な空間にたどり着いたような気分に陥っていた。
オフリッド同様、市内地図を手にできていないのもそのことに拍車をかけていた。
通りを歩いても無料の地図が手に入らない。
観光案内所はすでに閉まっている時間で、おまけに街角には無料の地図らしきものは一切置かれていない。
バス・ターミナルにも置いていなかったので、勘だけで歩き続けていた。
体よく迷い、程よく彷徨いながら、宿に戻った。
「ご飯食べに行かないか?」
さっき語らったニュージーの彼に声をかけられた。
「ああ、いいね。彼女に美味しい店を聞いて一人で行こうと思っていたんだ」
「僕も一人だからさ。そのアイデアに乗っかっていいかな?」
味気ない一人飯が避けられるなら大歓迎、断る理由はない。
ニコレッタさんに宿からほど近いレストランを数軒教えてもらう、モチロン安くておいしい店を。
暗くなった通りを歩き、すぐ近くのオススメの店を目指したが、休業らしく、やむなく並びの店に入った。
テラス席を陣取り、料理はハズレがなさそうなチキン・プレートを注文したが、
店員は英語が通じない上にやる気がないようでハズレ臭がプンプンしてきていた。
彼にビール、こちらにはお気に入りの炭酸水がやって来て、グラスを交わすとさらに旅の話を重ねた。
ニュージーランド人の彼は発電所の技術者として働いていたが、仕事を辞め、1年間の旅に出ることにしたという。
その旅の皮切りが日本だったらしく、「国技館でエンドーの試合を見たよ」とか、
「ナントカQでフジヤマに乗った」とかこちらの情報を頼りに日本の思い出を辿ってくれた。
やって来た料理は案の定、平均点レベルで互いに顔を見合わせはしたが、
それよりも一人旅のふたりとしては食事中に話し相手がいることが楽しくもあり、ハッピーでもあった。
「誘ってくれてよかったよ」
こちらが繰り返しそういうと彼も照れくさそうに言う。
「いや、それは僕も一緒だよ、一人旅はいいけど一人のご飯は切ないよね。
街はもう歩いた? 喰い終わったら『オールド・タウン』に飲みに行かないか?」
『オールド・タウン』は川向こう、城塞近くにある町だが、そちらまでは足を延ばしていなかった。
夕刻歩いた川沿いから、アレキサンダー大王のバカデカイ彫刻がある『マケドニア広場』に繋がる橋を渡り、
ライトアップされた噴水ではしゃぐ子供を眺めながら、城塞方面を目指して歩く。
すると唐突に一人の男性に話しかけられた。
「キミタチ、向こうへ行くの?」
「あ、ビールでも飲みに行こうかと」
「川を越えて、さらに陸橋を越えると向こうは『アルバニア』だ、気をつけなさい。
こちらは『マケドニア』、あっちとはコミュニティが違うんだ。
アルバニア系とは宗教も民族も違うから、同じ街だが違う土地と思ったほうがいい」
「わかりました」
ラルフとふたりで顔を見合わせていた。
写真を撮っていたこちらを見て観光客と察し、そんなアドバイスをくれたのだろう。
バルカンの人の気質からして、こちらをダマしているようには思えなかったし、
そんな風に観光客をダマしても通りすがりの彼になにか益があるとも思えない。
あるいはただの民族主義者か宗教家かぶれかもしれなかったが、聞いていて悪い気はしなかった。
地図や観光ガイドにはない情報、地元の話、歩いていると見えないものが見えてくる。
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第十五夜 Macedonian Coffee @Skopje [Macedonia]
バス・ターミナルへ戻る途中、パン屋の前で足が止まった。
飾り気のない店だったが、地元の人たちで混んでいる。
「昼前」という時間帯のせいでもあったろうが、この店だけやけに人で充たされていた。
迷わず昼飯用にパンを買うことにした、こういうところは鼻が利くのだ。(写真2)
パンならスコピエへの移動のバスの中で食べてもいい、もっとも肝心のバス・チケットをまだ手にしてないが。
店内のガラスケースにはホトンド物がなく、食パンやクッキーなど出来合いの袋詰めが並んでいるだけだった。
木製のカウンターに奥から運ばれてきた出来たてのパンが置かれていく。
白い割烹着姿のおばちゃん二人が客のオーダーを聞いてはそれらを手際よく紙の袋に詰め、
どんどん捌いては次の客に対応していた。
少しするとまた奥から焼き上がったパンが出てきて・・・というループが繰り返えされていた。
忙しそうなおばちゃんを煩わさないように前の男性に続いて、
「これとこれください」とカウンターの上に並んだパイと切り売りのピザを指差した。
「はい、これとこれね。65デナリよ。手さげ袋いる?」
マケドニア語はさっぱりだったが、そんなニュアンスだけは汲み取れた、
金額は伝票に書かれ、隣のレジで払う方式だ。
パンは個別に紙の袋に収めてくれているので「いらないです」と手を振り、コンビニ袋は断って、そのまま受け取った。
パンをブラ下げ、バス・ターミナルへ。
「12:45の『スコピエ』行き、1名、ください」
「500デナリよ」
特に心配もなく、あっさりとスコピエ行きのバス・チケットを手にし、すぐそばの宿に戻る。
時計は11:30を指していた。
「やあ、スコピエ行きのミニバスは買えたかい?」
入口でばったりオーナーのヴァレンティンさんと遭遇。
「いや、ミニバスは満席で売り切れでした。12:45のバスで行くことにしました」
「バスなら目の前だから楽だね。出発ギリギリまでいてもかまわないよ、5分前でも間に合うしね」
「ありがとうございます」
通常、チェックアウトのスタンダードは12:00、アバウトに遅くしてくれたのはありがたかった。
「まだ時間あるから、コーヒー飲むかい?」
このオーナーはこちらのコーヒー好きを覚えていてくれて、顔を合わすたびに「コーヒーどう?」と言ってくれる。
わずか一泊の客にも関わらず。
「わ、長距離移動の前にうまいコーヒー飲めるなんてうれしいな。
コーヒーと一緒にこのパンでランチにします、すぐそこで買って来たんです」
「ああ、あそこのパン屋? あそこはうまいよ」
地元の人が愛する店の味、地元のコーヒー、たかだかパン2つ、150円ほどのランチだが豊潤な昼食になった。
「スコピエはどこに泊まるか決まっているの?」
「いえ、着いてから探すつもりです。あるいは今、部屋でWi-Fi繋いでネットで探そうかと」
バスが確定していなかったので、いつものネットでの安宿予約もまだ試みていなかった。
たとえ予約ナシでも一人のバックパッキングなので、
スコピエのバス・ターミナルに着いてから安宿街へ向かえば問題ない、と思っていた。
「スコピエに『2』があるから泊まるかい?
義理の妹が4ヶ月ぐらい前にスコピエでホステルを開業したんだ、『ヴァレンティン2』だ」
「う? そうなんですか? じゃあ、新しくてキレイですね」
繰り返し記してきているが、ドミトリー滞在でも新しいなら歓迎、
そうやって快適度の高い新しい宿ばかりを狙って旅してきている。
ベラートとここオフリードと連続でシングル滞在できたので、そろそろドミでもかまわないかな、とも思っていた。
「使うかい? もし泊まるなら連絡入れておくよ。
あとオフリッドとスコピエと両方滞在してくれた人は割り引きしてるんだ」
「え? 『1』と『2』を使うと割引なんですか?」
「オフリッドからスコピエでも、スコピエからオフリッドでも両方泊まってくれたら割り引きするよ。
旅先で誰かに聞かれたらそういって宣伝してくれてかまわないよ」
「おっと、その前に宿代払わないと」
そういって別にしておいた宿代610デナリを支払った、シングルで1400円弱(!)ですぜ。
「ありがとう。おそらく同じバスで息子がスコピエに遊びに行くはずなんだ。
『2』もバス・ターミナルに近いけど、よければ案内させるよ」
「うわ、それは助かります。新しい宿を教えてもらって、おまけに案内付きなんて」
「おっと、ランチ食べるヒマがなくなっちゃうね。あとは部屋にカギを置いて出発してかまわないから」
そういってヴァレンティンさんは上の階に消えて行った。
鉢合わせから2ステップぐらい飛ばしての急展開、スコピエでの宿探しが省け、知らない街での不安が消えた。
「新しくて」「バス・ターミナルに近い」宿なら願ったり叶ったり、オマケに割引してくれるなんて。
お言葉に甘え、ギリギリまで部屋を使い、5分前にターミナルに向かうとバスは定刻通り12:45に出発した。(写真5)
車内はそこそこ混んでいたが、2つの座席を使うことができ、あぐらをかいて文庫本に没頭することができた。
14:05『Kichevo(キチェヴォ)』という町で幾人かの客を降ろし、
14:40ガソリンスタンドで給油兼トイレ・ストップ。
レギュラー・ガソリンはリッター「80デナリ」と表示されている、物価に比べるとかなり高い。(1L≒170円)
長い峠を越え、16:30、『Skopje(スコピエ)』のバス・ターミナルに到着した。
マケドニアの首都というだけあり、バス・ターミナルはかなりのサイズと多くの利用者でごった返している。
すぐ隣りには鉄道駅もあるので、行き交う人も多いのだろう。
久々の人混みに少しばかり気後れしていると、声をかけられた。
「ホステル、こっちだよ」
なりたての中学生、あるいは小学校高学年という出で立ちの背丈の男のコだ。
あ? ヴァレンティンさんの息子さん? あれ? いたのね?
「スコピエに行く」といっていた息子にはバス・ターミナルでもトイレ・ストップでも声をかけられることがなかったので、
てっきり別のバスになったのだろうと思い込んでいた。
顔を知らなかったので探しようもなく、「ホステルの住所」と「バス・ターミナルのすぐ横」という情報が手元にあったので、
案内役の彼がいないことをたいしてマイナスにも考えていなかったのだ。
どこからか見守っていてくれたのか、あるいは自分のペースで動きたかったのかわからなかったが、
ワサワサしたバス・ターミナルで声をかけてきてくれた。
「あ、いたのね。宿はすぐ近くなの?」
「ターミナルのすぐ隣のブロックです、案内するほどじゃないんですけど」
「いや、助かるよ。スコピエにはなんの用事で来たの?」
「服を買いに。ついでに映画を観るかもしれないです」
「へええ。映画好きなんだ? マケドニアの映画はいくらぐらいなの?」
「ええ、月に一回ぐらいはここに観にくるかな。
映画はモノによりますけど400とか500デナリですね。日本では映画はいくらするんですか?」
円貨にすると1000円前後、新作は高く、封切から日が経つと安くなるらしい。
しっかり学校で勉強しているのだろう、お父さんよりも流暢な英語で会話を続けてくれた。
「日本ではえ~っと、800~900デナリぐらいかな。
2~3本、見られるところもあるけど、料金はどこもその値段だね」
「うわ、高い!!」
そう、これは世界中で聞く言葉、日本の映画館は異常に高い。
何曜日だかの「レディス・デイ」だとしても世界基準からはまだ高く、先進国でももっとも高い部類といってもいい。
「『アベンジャーズ』がおもしろかった」とか「『スターウォーズ』の新作が楽しみ」とか、
他愛のない映画バナシをしていると、5分もせずに着いた集合住宅のブロックを彼が指差した。
「ここです、この上です」
拍子抜けするぐらいあっさりと次の宿『ヴァレンティン2』に到着。
ドアを開けて出迎えてくれたのはヴァレンティンさんの義妹らしく、やって来た甥っ子と明るくハグを交わしている。
「お義兄さんから連絡もらっているわよ、入って入って」
4時間かけてやって来たカワイイ甥っ子にアレヤコレヤと近況を聞きながら、こちらも招き入れてくれた。
家族の仲睦まじい姿を見るのはこちらも微笑ましく、チェックインの手間を割いてもらうことに気が引けた。
「ねむい~、寝てくる」
伯母の手厚い歓迎を気にも留めず、甥っ子はドミのベッドに向かっていった。
思春期の男のコなんてドコの国でも似たようなものなのだ。
「ごめんなさい、久しぶりに会ったものだから、わたしのほうが興奮しちゃって」
「いいんですよ、彼に案内してもらって助かったし、気にしてません」
「よかったらコーヒー飲む?」
「え? いいんですか?」
どういうわけかこのところ「コーヒー運」がいい、そんな運勢があるかは知らないけど。
「今、お茶飲もうかと思っていたところなの。マケドニア式のコーヒーを沸かすわ」
「ヴァレンティンさんにもたびたびごちそうになりました」
「お義兄さん、コーヒー好きなのよね。あなたもお好きなの?
だとしたらキッチンのコーヒー、好きに飲んでいいわよ」
おお~、チェックインと同時にうれしい知らせ。
安宿だろうがなんだろうが、フレッシュなコーヒーが飲めるだけで「いい宿」認定だ。
「あとでマケドニア式のコーヒーの淹れ方を教えてください」
「いいわよ。トルコ・コーヒーと似ているけど、マケドニア式はちょっと違うのよ」
ハーブ・ティが好きだという彼女だったが、「マケドニア・スタイル」のコーヒーはちょっとした自慢のようだった。
4ヶ月前にオープンしただけあって、キッチンやリビングは新しく明るい。
借りたトイレの脇にあったシャワー・ルームも当然、清潔でキレイに保たれていた。
割り当てられたドミトリーのベッドも新しく、ベッド下のロッカーや枕部分のコンセントなど便利に造られていた。
「彼はさっきチェックインしたばかりのニュージランドの人。あなたもコーヒー飲む?」
リビングにいた彼と握手を交わし互いに自己紹介、見知らぬ旅人とちょっとしたコーヒー・タイム。
オフリッドからスコピエへ。
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第十五夜 None Cicada @Ohrid [Macedonia]
―DAY15― 8月19日
少しばかり早起きをし、涼しい夏の風に吹かれながら、旧市街へ向かった。
昨日のお祭り騒ぎはどこへやら、朝の8時となると人影は少なく、静けさが湖へつづく遊歩道を占領していた。
辺りはひたすら無音で時折、波の音が響くだけ、というノイズのない自然音だけの世界が広がっている。
城壁に沿った小道を上がり、旧城門や劇場、発掘作業が進む教会などを見て歩いた。
今もコンサートやイベントに使われているという古代のローマ劇場だけには気の早い団体客がいて、
独り占めすることはできなかったが、しばらくすると彼らは去り、朝の静けさは保たれたままだった。(写真2)
いつものように誰もいない風景を写真に収める。
お気づきの方もいるかもしれませんが、なるべく人影がない風景を撮影することにしてます。
慌ただしい旅ではないので、団体客が去るまで、見学者がいなくなるまで、
ゆっくり待って、無人のシーンを切り撮ってます。
昨夜は『St. Johon Bogoslov-Caneo(聖ヨハネ・カネオ教会)』で折り返し、
ニギヤカな『スヴェティ・クレメンティ・オフリドスキ通り』で、軒を連ねる食堂のひとつに飛び込み、夕食にありついた。
誰かがオーダーした皿が目の前を通り過ぎていく、そいつに乗っかることに。
「あのお皿と同じやつ、ください」
ピタパンでキョフテを挟み込み、合間に溢れんばかりの野菜が埋められているサンドイッチ、
なんとおいしそうな一皿よ、キョフテ・サンドは70デナリ也。
その前の両替店で換えたデナル(複数形はデナリ)はUS$50で2,275デナリが手元にやって来ているので、
円換算だと1デナリ≒¥2,2、ドンブリ勘定で150円ほどの夕食なりけり。
安さにも増して楽しいのは地元の人たちに混じって店先のテーブルで食べること。
ちょっとローカル気取りができる瞬間は旅先でないと味わえない貴重な時間なのです。
おかげで写真を撮るのを忘れ、半分以上食べ終えてから気づき、
そこには原型を留めていないピタパンがあるだけだった。
やむなく店先で焼かれるキョフテの写真を撮ったものの、間に合わせの写真はヒドイことにブレブレでござい。(写真3)
実はこの夜、ティラナで一緒だったドイツ3人組と「現地集合」の予定があった。
彼らはティラナに数日滞在した後、オフリッド近郊の友人宅を訪れる、といっていて、
「よかったらオフリッドで食事でもしよう」という提案をしてくれていた。
14日、あるいは15日にオフリッド集合できれば、というメッセージのやり取りを重ねていたのだが、
その後、こちらは南に下り、南からオフリッド入りする予定が崩れ、
尻尾を巻きつつ、ティラナ経由でオフリッドに入ったので14日の到着が遅くなった。
おまけに彼らの友人はオフリッドから離れたところに住んでいるらしく、
オフリッドの中心に出るまでけっこう大変だということがわかり、
「15日もびみょ~だね」という結論に至ってしまっていた。
15日夜にムリすれば合流できないこともなかったが、冷静に考えるとこちらに余裕がないことが見えてきていた。
8月5日に旅立ったものの、ザグレブ入りは翌6日、
28日にイスタンブールを発つが0:40という出発時間なので27日の夜のうちに空港入り。
翌29日に日本着となるので、日程的には8月5~29日の「25日間」なのだが、
到着日、出発日、帰着日はないものと同じなので、バルカンに費やす日々は22日、
バルカン8ヶ国にブルガリア、ルーマニアを加え、未踏10ヶ国を巡り、トルコに戻ろうという算段なのだが、
ここまでですでに15日を消化し、予定の半分の5ヶ国しか、
(クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、アルバニア、マケドニア)巡ることができていない。
気に入った海辺で連泊したり、バス路線がなく来た道を戻ったり、無計画な一人旅がみごとにアダになっていた。
あと7日間で残り5ヶ国というアダ花にここにきてようやく気付いたのだ。
「カントリー・ホッパー」と化して加速して移動していけば無理な日程ではないが、
ひとつの街を一日で駆け抜けていくのはこちらの旅のスタイルと噛み合わない。
ジックリとその街の裏通りや町の食堂に入り浸り、少しばかりその国の本質を分かった気になりたいのだ。
そんな都合もあり、今回は無理に合わせず、次の街に進む選択を決めた。
まずは午前中にオフリッドの景色を眺め尽くし、昼のバスでマケドニアの首都スコピエ入りを目論む早起きなのですね。
おかげでひと気のない独り占めの景色をいくつも味わうことができた。
「早起きは3デナリの得」になるのかな、それじゃ安すぎるか、「三文」ていくらだ?
通常、普通の旅行者は朝ゆっくり、朝早いのは日本人ツアーの特徴でもあったりする。
ツアー参加者ともなると出発前にホテル周辺を散歩に出かけたりしますが、
治安の悪い国では「朝の散歩」を狙ったひったくりが多いので、ご注意を。
「日本人」「年配」「いいホテル宿泊」となれば狙うほうも狙いやすいというわけですね、ローリスク・ハイリターン。
特にスペイン、イタリア辺りでは早起き勤勉(!)な悪党が多いのでホント、気をつけてください。
古代劇場を離れ、『Samoilova Tvrdina(サミュエル要塞)』を眺めつつ、
昨夜訪れた『Church of St. John at Kaneo(聖ヨハネ・カネオ教会)』を目指して歩いた。
狭い路地に無造作に置かれた骨董品のようなクルマを眺めつつ住宅街を進むと、
遺跡発掘現場のようなエリアに行き当たった。
入場料の支払いが必要なゲートらしきものがあったが、係員はおらず、門扉は開け放たれていて、
おかまいなしに行き来できるようになっていたのは開業前の朝の時間だったからだろうか。
地図で見ると『初期キリスト教教会』と書かれていた教会の周りは、
ギリシャ様式の柱やローマ時代のオブジェが無造作に転がり、現在進行で発掘が進んでいる現場だった。(写真6)
教会自体は比較的新しい造りで扉を開け放っている。
朝のこの時間、見学可能な教会は少ないので遠慮気味に歩みを進めると、地元の人たちの礼拝が行われていた。
不似合いな旅行者にも関わらず、招き入れてくれ、礼拝を共にすることが許された。
マケドニア語の祈りの言葉はわからなかったが、旅の無事を祈りつつ、おとなしく座って礼拝を見守った。
旅先のこういう時間は狙って味わえるものではない、たまたまのタイミング、偶然の出会い。
礼拝を終えると大皿に乗った果物が配られ、こちらにも「食べなさいな」という感じで差し出されてきた。
信者でもないのに「お供物」をいただくことに気が引け、手を出しかねていると、
地元の信者の方々は珍妙な旅行者を咎めもせず、「どうぞ、どうぞ」「食べろ、食べろ」と勧めてさえくれた。
大いに恐縮しながら大きなブドウの粒を頬張ると「おいしいでしょ、もっとどうぞ」とさらに差し出してくれるのだった。
地元の礼拝におジャマしただけなのだが、ちょっとだけ異文化的地元的宗教的不思議的体験。
石造りで涼しい教会を出ると外の日差しはきつく、気温は徐々に上がりはじめていた。
朝の風が湖の湿り気を含み、心地いいのだが、それにも増してさわやかな理由がこのときわかった。
バルカン・エリアには「蝉」がいない。
日本の夏にはつきものの「み~んみん」「ぢぢぢ」のあの「セミ」が一切いないのだ。
生態系の問題だろうけど、「せみ」がいないってすごくないか?
日本ではあの音が「夏らしさ」でもあることは確かだが、あの音がないとなるとなんと涼やかな「夏」であることか。
湿度を含まないカラっとした陽射しの「熱さ」、ヒンヤリさすら感じる「木陰」がヨーロッパの「夏」を表しているが、
日本ではまとわりつくような「湿度」に逃げ場のない「蝉の声」の相乗効果が夏の「暑さ」を彩っていたのだ。
バルカン半島を歩いていてずっと違和感を感じていたことが湖の丘の上で解決をみた。
丘を下り、昨夜訪れた『聖ヨハネ・カネオ教会』を再訪。
観光客の少ない午前中はシンボリックな教会と湖の情景も独り占めすることができる。
ゆっくりと写真を撮り、ゆっくりと内部のフレスコ画を眺めた。
バルカン・エリアの教会のフレスコ画は痛みが激しいものが多い。(写真7)
文化財の保護まで手が(もちろんお金も)回らない国の窮状を表している。
世界中から観光客が足を運び、人々の声が集い、少しずつ保護されていくことになることを祈るしかない。
教会から湖を望むテラスに腰を下ろすとただ湖畔の波音だけが響いていた。
旧市街に出向く前、宿に近いバス・ターミナルでスコピエ行きの時刻と料金を確認していた。
「バスは10:00、12:45、15:15、料金は500デナリよ」
「昼のバスは空いてますか?」
「ダイジョウブヨ」
窓口のガラスの向こう、眼鏡をかけた女性がそう教えてくれた。
ミニバスより50デナリ高い、円貨にして約100円の違いだから気にするほどの差ではないが、
夕食を70デナリで食べられる物価下では十分な節約といえた。
旧市街を見た帰り、ミニバスに乗れるか聞いてから買えばいいかな、そんな感じでバス・ターミナルを後にした。
教会からの戻りしな、朝、まだ空いていなかったミニバスの事務所に向かった、昨日、降ろしてもらった場所だ。
「スコピエ行き、11:45のミニバス、空いてますか?」
「ソールドアウトよ。17時ならまだ席があるわよ」
あららら、遅きに失したか。
ベラーティからとティラナからの道のりがそうであったようにミニバスは安いうえに速い。
「差額」よりも「乗車時間」を切り詰められることが魅力だったが、到着時に即決できなかったのには理由があった。
「昼前の出発」となると午前中にオフリッドの町を観て回れるか、不安が残ったのだ。
この町に夕方に着いて翌日の午前中に出発する、というのはあまりに性急過ぎる気がして、
昨日の時点で決めてしまえなかったのはこちらが原因、
ミニバスは座席が少ないのでなくなってしまうのはいたしかたなし。
「ありがとうございます」
礼を言って事務所を出た、こうなると昼のバスを確保できるかもアヤシイぞ。
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第十四夜 Domestic Tourists @Ohrid [Macedonia]
ヴァレンティンさんとの話しを終え、コーヒーを飲み干すと出かける気になっていた。
朝4時前に起きて、一日かけて移動してきたので、
夕飯も摂らず、そのまま横になってもおかしくなかったが、
知らない街、知らない通りがそこにあると思うと見て歩きたくてウズウズしていた。
夕食ついでに繰り出すか、となぜか自分に理由をつけて部屋を後にした。
住宅街にある宿の周りはすでに闇に包まれていたが、荷物を背負い歩いてきた道を戻る形なので、不安はなかった。
静かな通りを抜けると明るい街灯と朗らかな人混みが昼間のような感じで出迎えてくれた。
噴水のある広場から湖へ続く道はお祭りでもあるかのようににぎわっている。
食べ物屋は店先に張り出し、通りの其処彼処では風船売りやおもちゃ売りが子供たちの足を止めていた。
なにかイベントでも行われるのかい、と思いながら歩みを進めたが、その気配はない。
スプリットのように観光客や酔客の夜のニギワイかとも思ったが、それとはまた感じが違っていた。
広い遊歩道をそぞろ歩く人たちには家族連れが多い、どうやらマケドニアの人たちがほとんどを占めているようだった。
人波を避けながら、湖面を目指して歩いた。
レストランのテラス席は混んでいたが、やはりなにかが催されるわけではないらしい。
道行く人は食事を終え、夜の散歩を楽しんでいるだけのようで、
屋台のアイスクリーム屋やフルーツを売る店が女のコたちを集め、賑っていた。
焼きトウモロコシ屋はここでも定番だ。(写真3)
でもどうしてどのトウモロコシ屋もなんで切れっバシのダンボールなんだい?
マケドニアやアルバニアには「団扇」が伝わってなのかい?
意外にも客を集めているのはドーナツ屋だ、揚げたてのドーナツが次々に客の手にさらわれていく。(写真4)
どうやら湖に沿うリゾート地でもあるオフリッドは国内旅行客が多いようだ、ひと頃の軽井沢、あるいは清里のごとく。
解放化された国情に伴い、次第に生活が豊かになり、
異国への旅行はまだ叶わないが「夏は家族そろって湖に行きましょう」という感じなのかな。
これは独り歩きの探偵さんの推理、いちおう現地の人に裏付ける話を聞いたけどね。
楽しくはしゃぐマケドニアンたちから離れ、湖畔から城壁内へ歩みを進めた。
寝不足ではあったが、バスとカフェで座ったままの一日に少しばかりのフラストレーションを感じていた。
疲れていても歩いていると頭が冴えてきて、アチラコチラにアイデアが浮かんでは消えていく。
実は仕事の企画や記事のネタも旅先でこうして歩いているときに湧いてきたものが多かったりするのですね。
さながらアドレナリン自作システム。
知らない街を歩くと湧き出る「マチアルキーニ」、
一本裏の路地に入ると活性化する「ロジウラン」、こういう脳内麻薬があるに違いない。
宿でもらった無料(!)の地図を頼りにそんなバカみたいなことを考えつつ、城塞内を歩いた。
みなさまには眼から刺激を、ということでオフリッド夜の情景。
「Hostel Valentin」はこの場所 ↓ ★こちらにレビューあります
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第十四夜 Coffee of the Day @Ohrid [Macedonia]
15:05、オフリッド行きのミニバスはほぼ予定通りに出発した。
16:45、名も知らぬ峠でトイレ・ストップ。
ロング・ドライブにはドライバーの休憩も必要だ。
「15分ぐらいのコーヒータイムだよ、コーヒー飲まないか?」
年配のドライバーがそう誘ってくれた。
「飲みたいけど、レクを使い切っちゃったんだ」
そういってパンツのポケットをひっくり返してみせた。
「かまわないよ、一緒に来いよ」
そういうとこちらの肩を叩き、カフェに招き入れてくれた。
ヨーロッパの郊外でよく見かけるドライブイン・スタイルのレストラン&カフェ、
店の前の広い駐車場には大きなトラックとバスが数台並んでいた。
添乗員時代、「△△周遊」という名のツアーを担当するたびに訪れていた懐かしい感じのドライブインだ。
トイレが併設されているわけではないので、レストランのものを拝借する形、
その間にドライバーは一服し、ツアー客はトイレを済ませ、飲みものを買い込むというわけだ。
ツアーでは通常、観光案内するガイドはその街の中での待ち合わせとなる。
街から街へ移動する時、車内にはドライバーと添乗員のコンビだけでお客さんと一緒に次の街を目指すわけだ。
ところがこれがなかなか厄介で、南ヨーロッパともなれば「英語を話せない」なんてドライバーは当たり前で、
コミュニケーションにもけっこう苦労したりする。
なにせ会話が通じない中で、休憩時間とか明日の出発時間とかを合わせなければいけないわけだから。
そんななかで「トイレ・ストップ」を決めるのもややこしいのだ。
自分の場合は基本、ドライバー任せにしていた。
彼らには「ひいきの店」や「行きたい場所」があるので、それに合わせたほうが万事、うまく進む。
添乗員の中には自分が好きな場所や立ち寄りたい所などを指定する人もいるようだが、
大概はドライバーの機嫌を損ね、うまく運ばないケースが多い。
ドライバーを下に見る添乗員も多いけどね、ハンドルを握るプロに任せた方がキレイに進むのに。
話は脱線したが、そんなわけでこの店はミニバスのドライバーの馴染みの店らしく、
一緒に席につくと彼と同じようにコーヒーを出してくれた、今は添乗員でもガイドでもないのに。
結局、ティラナではほとんどの時間をKAFEで過ごした。
バゲージを預かってもらえたので『スカンデルベグ広場』に戻り、周辺をブラついてみたが、
あらためて観るものもなく、結果、KAFEで読書とネットでもして時を待つことを決めた。
ちなみにこの国にはファストフード店がないようにシアトル系のコーヒー・ショップもない、
そのためどのカフェも個性がある、欧米に毒されていないのはある種、魅力的でもある。
ソファがある居心地のよさそうなカフェを見つけ、マキアートを頼んだ。
100レクという金額にも驚かされたが、「お冷」が出てくるのも小さなオドロキだった。(前日写真8)
そういえば他のカフェでも水が出されていた、どうやらこれがアルバニア・スタイルらしい。
ちなみに「カフェ」の綴りが「K」ではじまるのもこの国の特徴。
読書に飽きるとWi-Fiのパスワードを教えてもらい、ネットで時間をつぶした。
10時から15時前までの長い時間、カフェに居続けるタチノワルイ客、アヤシサ満点の外国人であったのだが、
会計を済ませると「明日も来てね」とマネージャーらしき女性に言葉をかけられた。
社交辞令だったのか? 皮肉だったのか? ナゾが解けないまま、ミニバスに乗り込んだ。
17時過ぎに走り出したバスは17:45、国境に差しかかった。
ドライバーがみなのパスポートを集め、出国手続き、
そのまま走り出すと、18:10、マケドニア入国の手続きも済ませ、後部座席にパスポートが回された。
この旅5つ目の国、『マケドニア』にようやく入ることができた。
パスポートを回していて気づいたが、乗客10名の内訳は、
一人のオヤジさんに奥さんと娘二人、その妹叔母に娘二人のなんともかしましいマケドニアの家族が7名、
それにトルコ人カップルとアヤシイ日本人という陣容。
女性の比率が異常に高い車内は終始、ニギヤカでハナヤカなまま、
18:30、『Struga(ストゥルーガ)』に到着、かしまし家族をそこで降ろし、
19:00、終着の『Ohrid(オフリッド)』に到着した。
「楽しい旅を!」
トルコ人カップルと握手をして、別れる。
どうやら降ろされた所はバス・ターミナルではなく、ミニバスを扱う店の前のようだった。
ドライバーにコーヒーの礼をいい、日本から持ってきていた「特別酸っぱい」のがウリのレモンのアメを彼の手に握らせた。
「これ、食べてください、日本のキャンディです」
「おお~、ありがとう。うは! 目が覚めるな、コレ」
その場で口にするとあまりの酸っぱさに彼はお道化て言った。
「あ、そうそう、こちらは『スコピエ』に行くバスは扱ってますか?」
目の前の事務所のドアを開け、中で尋ねてくれた。
「7:00、11:45、17:00の3本で、料金は450ディナールだってさ」
「ありがとうございます。まだマケドニアのお金も持ってないので、明日にでも来てみます。
ところでここはオフリッドのどの辺ですか?」
「ああ、街のど真ん中だよ、この通りがトゥリスティチカ通り。
スコピエ行きならバス・ターミナルから普通のバスもあるはずだ、時間と金額はわからないけどね」
「いろいろありがとうございました。」
あらためて彼と握手をして別れた。
実はティラナのカフェ・タイムにここオフリッドの宿をブッキングしていた。
動きやすいようにバス・ターミナルそばの安宿をおさえていたのだ。
てっきりミニバスもバス・ターミナルに着くものと思っていたので、
街のど真ん中に降ろされたのは便利であったが、誤算でもあった。
まずは市内の地図をもらわないことには動きようがなかったが、ミニバスの事務所には置いてない、ということだった。
街の真ん中、ということだったので、人の流れに任せ、ニギワイの濃い方へ進む。(写真6)
「Infomation」のカンバンがあったので、まずは飛び込んでみた。
「地図ください、それとここの場所を教えてください」
「地図、有料だけどいいかしら?」
断りを入れ、次に「INFO」表示を出していた店に入ってみたが、そこでも「地図は有料」と言われた。
ムムム、マケドニアは市内地図が有料ですと? まずはこれがマケドニアの洗礼なのかい。
バゲージも抱えていたので、まずは宿を探し出してしまうことにした。
ただしカフェからネット・ブッキングしたので、プリントアウトもできておらず、保存したPC画面しかない。
「あたちスマホぢゃないの」と言いつつ、PCを開き、方向を定めていると、声をかけられた。
荷物も背負っていて、PCを広げているので、少しばかり警戒心が高まる。
「May I help you?」
「あ、『バス・ターミナル』を探しているんですが?」
「ああ、それならこの道をまっすぐ行って、モスクのある分かれ道を左ですね、10分もかかりませんよ」
警戒したこちらが気恥ずかしくなるような紳士的な立ち居振る舞いとていねいな英語で教えてくれた。
「ありがとうございます」
う~ん、バルカンの人たちはどの国のドコの町でも無条件に優しすぎる。
地図をもらうことをあきらめ、言われた通りを言われた通りに歩き、バス・ターミナルにたどり着き、
そこからほど近い場所にあるはずの宿を探した。(写真7)
ところが「宿」といってもカンバンなどがなく住宅地をかなり彷徨うことに。
地元の道具屋や売店で英語は通じず、なんとか通りの名前と番地を伝え、なんとなく方向を教えてもらい、
民家を改造したゲストハウスを探り当てた、頼りになったのは家の前に記された番地代わりの「数字」だった。
19:40、チェックインするべく呼び鈴を押すと、白髪の男性が迎え入れてくれた。
「ようこそ、ジャパニーズ! 待ってたよ。今日はどこから来たの?」
「朝4時に『ベラーティ』を出て、『ティラナ』を経て、さっき『オフリッド』に着きました」
「長い旅だねえ、ここがキミの部屋だ。疲れたろう、コーヒー飲むかい?」
「え? コーヒーあるんですか?」
「マケドニア式のコーヒーを淹れてあげるよ。荷物を下ろして、シャワーでも浴びれば?」
共同のキッチンやシャワーの使い方をひと通り教えてくれると、階段を駆け上がっていった。
どうやら1階のフロアにある3部屋を貸しているらしく、2階が居室という感じだ。
連日のホームステイ状態、今夜も他の客を気にすることなくリラックスできそうだ。(写真8)
手短にシャワーで汗を流すとキッチンからコーヒーの香りが漂ってきていた。
「ヴァレンティンだ、よろしく」
シャワーで濡れた手を拭い、自己紹介する彼と握手を交わす。
「こうして砂糖とコーヒー豆を一緒に煮出すのがマケドニア式さ。
というもののトルコのコーヒーと同じかな。ここじゃ、みんなこうやってコーヒーを淹れる」
コップサイズの小さな片手銅鍋をガス・コンロで沸かし、2つのカップにコーヒーを注ぎ入れた。
「うわ、インスタントじゃないんですね」
「ちょうどコーヒーを淹れようと思っていたところにキミが来たんだ」
「なによりコーヒーが好きなんです。チェックインしてウェルカム・コーヒーが飲めるなんてハッピーです」
「僕も一日何杯も飲むほどコーヒーが好きなんだ」
甘いコーヒーを傾けながら握手を交わした、今日は様々なコーヒーに出会った一日だ。
ベラーティからティラナを経由し、オフリッドへ。
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