第十七夜 Political Situation @Pristina [Kosovo]
18:30のバスに合わせ、ターミナルへ向かった。
午前中の往復は手ぶらだからよかったが、バゲージありで歩くには少し遠いので、
「6A」という市バスを捕まえた。
バス・ターミナルへのバス番号は宿のスタッフにしっかり教えてもらったものだ。
車掌に促され、手前の住宅街で降り、人の流れを追いながら、バス・ターミナルを目指し、少しばかり歩いた。
陽が傾く時間だというのに暑さは癒えることはなく、
短い距離を歩いただけでも荷物を背負った背中にはビッシリ汗をかいていた。(写真7)
『ノヴィ・パザール』行きのバスは時間前にやって来た。
チケットを見せ、トランクに荷物を放り込む。
(どうやら荷物代は取られないのね)などと小さいことを考えていると、
「パスポート用意してあるか?」「ナニ人だ?」「スタンプあるか?」など、
バスの傍らにいたドライバーやスタッフに矢継ぎ早に質問を浴びせかけられた。
「あるよ。日本人だよ。どのスタンプ?」と冷静に切り返しながらも
ノヴィ・パザールで乗り継ぐことに不安を感じていたので、
「ノヴィ・パザールからベオグラードに行きたいんだけど乗り継ぎはカンタン?」と逆に質問を投げかけた。
「ああ、それならノヴィ・パザールで5~10分ぐらいで乗り継いで行けるよ」
わかりやすい答えをもらって、少しばかり不安が溶けた気にはなったが、
話しは話し、現地入りしてチケットを手にしないことには道行きの安心を得たとは言いがたかった。
「バス路線がない」とか「プラスティックのイスに座らされる」ようなことはないと思うが。
それよりも先ほどからドライバーがこちらのパスポートを手に取り、パラパラとページをめくり続けている。
「セルビアのスタンプはないのか?」
「マケドニアから入ってきたからないですよ」
「セルビアのスタンプがないと入国はできないぞ?」
「え? なんです? それ?」
雄弁にまくし立ててくる彼らの説明をゆっくり噛み砕くと、
バルカンの「ややこしい政治的事情」が存在するということがわかった。
セルビアからすると「コソヴォはセルビアの一部」であるため、
コソヴォの入国スタンプ(入国ヴィザ)を受けた者はセルビア入国を拒まれる可能性があるという。
セルビアからコソヴォに来て、再度セルビアに入国する分にはおとがめなし、ということらしい。
さらに言うと「お前は日本人だから行ける(入国できる)かもしれないが、拒まれる可能性も高い」ということ。
従ってバスに乗せることはできるが、入国できない(認められない)場合、国境で降ろしていくことになる、
というのがドライバーの話しだ。
「え~」
う~ん、それでバルカンを旅する人は時計回りで南下してくる人が多いのか。
ホステルで擦れ違う旅人に北から回ってくる人が多いことを薄々感じていたが、
ヨーロッパから入れば時計回りでしょ、ぐらいにしか考えず、特に気にも留めていなかった。
それにしてもここでバス会社のスタッフやドライバー相手に揉めていてもなにも解決しないことは明らかだった。
「で? どうしたらいい?」
こういう時は原因や理由を求めても仕方がない、
次にナニをするべきかを事情通に教えてもらい、結論を導き出すことが先決だ。
「一旦、モンテ・ネグロかボスニアに行って、そっちからセルビアを目指すしかない」
「なるほど。コソヴォからの越境が無理ということですね?」
「隣のバスが『ウルツィニ』行きのバスだ、それで行けるか?」
「『ウルツィニ』なら乗り換えで行ったことがあるからなんとかなるかな。 で、このチケットは破棄?」
セコいようだが、手元には乗らない予定の『ベオグラード』行き7,5ユーロのチケットがあった。
ちなみに『ウルツィニ』はアルバニア・ティラナ行きのバスでステキな「プラスティックのイス」に出会った場所だ。
http://delfin2.blog.so-net.ne.jp/2015-01-22
「あのお~、にほんノヒトデスカ?」
若い学生風の男の子が売店のサンドイッチを頬張りながら声をかけてきた。
「はい、日本の人です。あなたは韓国の人?」
「ソウデス、日本語スコシワカルので。ソノちけっと、ぼくカイマス」
「え? そうなの? それは助かるけど」
「ばす乗ってちけっと払うツモリダッタので。モンダイないです」
「わあ、カムサハムニダ。 サンドイチ、マシッソ?」
どうやら日本語で文句を言うでもなく、独りごちていたのが聞こえていたらしく、
日本語がわかる韓国人の彼が助け舟を出してくれたようだ。
あわせて彼はコソヴォからのセルビア入国が難しい事情を日本語と韓国語を織り交ぜて説明してくれた。
「ぼく、せるびあカラキタだから、モドルはモンダイないですよ」
そういってお金とチケットを交換すると彼はサンドイッチを片手に『ベオグラード』行きのバス車内へ消えていった。
「バゲージ、降ろしたかい?」
セルビア入国に警鐘を鳴らしてくれたドライバーが最後に声をかけてくれた。
「降ろしました。いろいろありがとうございました!」
彼と握手をして『ベオグラード』行きのバスを見送る、定刻通りの出発だ。
気分的にはなんとも複雑、国境に置き去りにされる悲劇は回避できたわけだが、
ひとまずここプリシュティナに置き去りにされていた。
しかもこの先どうなるかがなにも見えていないが、
国境に置き去りにされるよりかはましな状況であることは確かだ。
するとバスを待っていた乗客たちがアレヤコレヤと話しかけてきてくれた。
「こっちのバスで『ウルツィニ』に行くよりも『ポドゴリツァ』に出たほうが本数も多いし、乗り継ぎやすいよ」
「この時間だと乗り継げるバスはないかもしれんな」
「慌てて『ウルツィニ』に行くより『ポドゴリツァ』が便利だろ、このあとにバスも来るし」
情景的には「セルビア入りできない哀れな日本人を囲む」の図、
無知なこちらをさておき、周りの人たちの話しは盛り上がっていた。
なにも情報を持たないこちらとしては彼らの提案のひとつひとつがありがたく、頭を垂れて教えを乞うしかなかった。
あらためてカウンターに向かい、『Podgorica(ポドゴリツァ)』行きのチケット、16ユーロで買い直す。
ベオグラード行きの倍近くするので「高いなあ」などと邪な思いが走る、
そんなことを考えている状況ではないのに。
『ポドゴリツァ』行きのバスは20:00、それまでカフェでコーヒーを飲み、出発を待った。
定刻通り出発したバスは20:45、隣町『Peja(ペヤ)』で客を下ろし、21:10、トイレ休憩、
22:10、モンテ・ネグロ国境で20分を費やすと、ようやく休まず、本格的に走りだした。
モンテ・ネグロに入国すると山あいの峠が続き、車内はグンと冷えだし、ヒーターも入らない状態で、
短パン・半そでのスタイルでは寒くてやりきれなくなるほど冷えてきていた。
0:30、峠道でトイレ・ストップした際、トランクを開けてもらい、バゲージからロングのパンツを取り出す。
まさかザグレブで一番下に押し込んだロングのパンツが夏のバルカンで必要になるとは驚きだ。
「モンテ」=山、「ネグロ」=黒、まさに山の国なのですね。
着込んだことで寒い車内でもなんとか眠りに落ちることができた。
2:40、モンテ・ネグロの首都『ポドゴリツァ』のバス・ターミナルに到着した。
一般道を7時間近く走った計算、バス料金が高いのも頷けた。
小さなモンテネグロは『コトール』の町だけでいいかな、と思っていたので、想定外の「首都」訪問。
といっても薄暗いバス・ターミナルに来ただけなのだが。
ちなみにここは「事実上の首都」で憲法上は「ツェティニェ」とされていてややこしくもある。
ターミナル内には5名ほどの乗客が残っていて、施設内では小さなカフェだけがひっそりと営業していた。
人のいないチケット売り場に声をかけると、奥から深夜番なのか眠そうな男性が顔を出した。
「サラエヴォ行きは7:40、18,5ユーロ、チケットは朝購入してもダイジョウブですよ」
退屈な深夜番に違いないが、親切にそう教えてくれ、こちらが理解したことを確かめると彼はまた奥に戻って行った。
そう、トイレ休憩の際、カフェで地図を広げ、旅のプランを練り直していた。
ボスニア=ヘルツェゴヴィナの首都『サラエヴォ』に次の狙いを定め、ここからおもむろに「時計回り」を決め込み、
その後、セルビアの『ベオグラード』に向かうことに行程を変えた、いや、変えざるを得ないのだった。
実は『ベオグラード』に到着した場合、西にあるボスニア=ヘルツェゴヴィナをどう訪問するかがネックだった。
セルビアを訪れた後、ブルガリア、ルーマニアと東に向かい、トルコ方面に流れていくのがスムーズで、
西に位置するボスニア=ヘルツェゴヴィナはベオグラードから「タッチ&ゴー」で往復するしかないようだったのだ。
この際、この災いが転じて回りやすくなった、と好都合に考えることにした。
次のバスまであと5時間、カフェでマキアートを頼み、腰を下ろした。
プリシュティナからポドゴリツァへ
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第十七夜 Unexpected Encounter @Pristina [Kosovo]
―DAY17― 8月21日
今日もいい天気、夏の太陽は休むことなく、照らしつけてくる。
残ったチキンとパンで軽めの朝食を済ませ、
午前中はエアコンが効いた宿のリビングでゆっくりと過ごした。
持参のコーヒーを淹れ、文庫本を開き、飽きるとテラスから通りを眺め、
日差しに負けるとまたエアコンが効いた室内に引っ込む。
プリシュティナの小さな街ではとくにみる物もないので、そんな風に優雅に小さな国の首都の午前を楽しんだ。
昼前になり、両替を済ませ、待っていてもらった宿代8ユーロを支払い、チェックアウト。
夕方の出発まで荷物を置かせもらうように頼むと、
「リビングやトイレも使っていいし、暑いからシャワーも使えば?」と気さくな返事をもらった。
バス・チケットを買い求めるため、町外れのバス・ターミナルに向かった。
幸い混み合うこともなく、チケット売り場のおじさんはヒマそうにしていた。
「夕方の『ベオグラード』行きのチケットをください」
「それなら18:30の『パザール』行きで、そこでまたチケットを買いな」
『パザール』ってドコだよと思いつつ、差し出されたチケットを受け取り、7,5ユーロを支払う。
チケットには『Novi Pazar(ノヴィ・パザール)』と記されていた。
どうやらベオグラード行きの直通バスはどの時間帯でもないらしく、すべてその町で乗り継ぐのが常道のようだ。
2~3時間の道のりでさくっとベオグラードに乗り込み、ニギヤカな首都で宿探し、と思っていたので、
名も知らない田舎町の乗り換えに時間を費やされることがないといいな、と漠然と不安を感じた。
結果的にこの心配は杞憂でしかなく、『ノヴィ・パザール』の町で乗り継ぐどころか、
この町には触れず、別のルートを突き進なくてはならない、というトンデモナイ事態に遭遇することになるのだが、
この時点でのんきな旅人はそんな「悲劇」に見舞われるとは想像もできていないのだった。
バスの時間までプリシュティナを満喫するため、熱い日差しが降り注ぐ中、街の中心に戻り、ランチをとることにした。
旧市街の「オープン・マーケット」に向かう途中、
ガラスケースの向こうで激しい煙を立てている食堂に目が留まった。
ひっきりなしに地元のビジネスマンが出入りしている。
幸いこういう時はハナが利くので、この店に決め、ためらわず彼らに続いて小さな店の奥に進んだ。
「同じやつ下さい」
別のテーブルでビジネスマンが頬張っていたサンドウィッチを示し、あいたばかりのテーブルについた。
店内はいかにも「町の食堂」といった感じでシンプルなテーブルが3つあるだけの質素な造り、
カウンターの向こうで親父さんはただただ無口に肉を焼き、それを息子が紙に包み、テーブルまで運んでいく。
料理を待つ間、そんな風に働く姿を眺めているのが楽しい。
飾り気なく皿に盛られたキョフテのサンドウィッチ、
付け合わせの酢漬けパプリカが肉の脂を忘れさせてくれる。(写真4)
「うまいなあ」
地元の店の地元に味にシビれ、つい日本語が口をついていた。
当然、日本語の意味など分かるはずがないだろうが、カウンターの向こうでは親父さんと息子が笑っていた。
地元の生活の中にある地元の味に思いがけず出会うのが、旅先の一番の喜びなのだよ、笑わないでよ。
恥かきついでに「ふたりの写真、撮っていいかな?」とお願いする。
それまで厳つい顔で働いていた親父さんの笑顔が輝いた、息子はちょっと照れ気味、まだ若いな、おぬし。
小さな店なのでさくっと食べてさくっと切り上げるべき、と江戸っ子のようなことを思いつつ、
一皿分1,5ユーロ(!)の会計を済ませ、店を出た。
明日また来ることができないのが残念だ。
店の前の通りを挟んだ向こう側は知識人の八百屋さん、これまた思わぬ発見。
歩きを重ねているとさながらバラバラだったパズルのピースが繋がっていくようで、
ポイントポイントだったイメージが「街」に変化していくのだ。
旧市街を奥へ進むと「オープン・マーケット」が広がっていた。
どこの街でも市場は眺めているだけで楽しい、小さなマーケットでは青果や果物に紛れ、生活必需品も並んでいる。
スコピエで気に入った桃が2つで50セント、小分けのヨーグルトも50セントを買い込み、
長距離バス移動の小腹対策はこれで万全。
「なあ、アンタ、カメラマンかい? 写真撮ってくれよ」
市場の写真を撮りながら歩いていると主婦を集めていた八百屋のニイチャンに唐突に声をかけられた。
「撮るのはかまわないけど?」
その返事を聞くか聞かないか、こちらの都合もおかまいなしにニイチャンはポーズを決めている。
「サンキュ! これ食えよ!」
そう言って売り物のブドウの房を少しちぎると、軽くゆすいで渡してくれた。
もらったブドウを頬張る、やたらと強い日差しの下だと果物の甘みが愛おしい。
「うまいなあ」
「だろ? 買ってくか? さあ、いらっしゃい!!」
こちらの日本語がわかるはずもなく、あちらの言葉もわからないのだが、
そんな風に会話をしながら、八百屋のニイチャンは写真のことも忘れ、もう商売に熱を入れていた。
「(写真、渡せないけどいいのかな?)ありがと、ごちそうさま~」
目の前で突然スパークしたハプニングのような一瞬に別れを告げ、その場を離れた。
その後も旧市街やモスクなどを巡ったもののめぼしい発見はなく、日差しの厳しさだけがのしかかってきていた。
午後の熱い時間、無理に歩くことはないか、と宿に戻ってエアコンの風に甘えることにした。
街のサイズからして観る物が少ないのは当然で、この国は「国」であって「国」でない。
これがバルカン半島のややこしいところで、
単一の民族だけが占める国ならその成立もわかりやすいのだが、
それぞれの国に他民族が混ざり、あるいは同じ民族でも宗教が異なるとコミュニティが異なり、
必然、分裂や独立といった気運が生まれてくる。
セルビアの領土の南端にアルバニアから入り込んだ人たちが住み着き、
(アルバニアはイスラム系、セルビアはセルビア正教)
その部分が「別の国」=コソヴォとして独立を果たした、この争いが「コソヴォ紛争」だ。
そのためセルビアはいまだここを「セルビアの一部」と主張し、先進国でもコソヴォを「国」とは認めていない国も多い。
(日本政府は「国」として認めている)
公用語もセルビア語とアルバニア語が用いられている。
島国・日本人からするとこういう民族紛争はなんともわかりづらい、
同時に宗教で分裂することなどが少ないアジア系には理解が難しくもある。
原因は異なるが「台湾」を「国」として認めていない国が世界中に存在することに似ているだろうか。
街宣車さながら音楽をかけ、アルバニアの旗をひらめかせ走っていくクルマがあるかと思うと、
大通りに「UN(United Nations=国連)」のロゴが入った装甲車が信号待ちをしていたりと、
なかなかキナ臭いシーンが見え隠れもしたりする。
とはいえ、街なかはいたって平穏で、人々の暮らしは普通に営まれていて、「コソヴォ紛争」の面影すらない。
そしてこののんきな旅人はこのキナ臭い状況に気がつかなければならないことがあったのだが、
店先や市場にもアルバニアの旗が多いなあ、ぐらいにしか考えないで歩みを重ねていた。
このあと、まさか民族紛争の煽りが自らに降りかかるとも知らずに。
そんなことに気づかないなんてバルカンの日差しにやられ、おそらく頭の中身が茹で上がっていたに違いない。
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第十六夜 Sociable Moments @Pristina [Kosovo]
教えてもらった両替店は2つとも閉まっていて、コソヴォの通貨ユーロを手にすることはできなかった。
コトールで換えた残りの4ユーロと数セントが手元に残っていたので、
パンだけでもかじるか、カードの使えるレストランに入るか、
運命を探りながら暗くなった旧市街を彷徨った。
地元スーパーが明るい光を放っている、夏の虫の如く、当然のように吸い寄せられた。
店内を歩くとパンなら袋に詰められたバゲットやデニッシュが1ユーロせずに買えることはわかった。
なにせこの国の物価もわかっていなかったが、
これで我が4ユーロがどれぐらいの破壊力を持つのか、戦況は見極められた。
最低限、パスタと缶のソースでいけるか、などと献立を考える主婦のように悩みながら古びた店内を巡る。
すると精肉のコーナーの隣でロースト・チキンがいい薫りを立てていた。
3ユーロ!
丸ごとか、半身の値段か? 表示金額が書かれているだけでわからなかったが、これで今夜の夕食が決まったぜ。
袋に入ったパンをレジに差し出し、尋ねた。
「あそこのチキン、買いたいんだけど?」
「OK。ちょっと待って」
そういうと白い作業着を着たニイチャンはロースターのトビラを開き、
回っていた熱いチキンを紙の袋に取り込み、持ってきてくれた。
ロースト・チキン丸ごとで3ユーロ+パン0,35ユーロ、
おお~ 我が陣営の4ユーロで釣りがくるじゃないか。
それよりも今夜、切ない夕食戦線にならずに済んだことに感謝した。
熱いチキンをブラ下げ、宿への道を戻る。
暗い通りに煌々と明かりをつけ、八百屋さんが営業していた。
明るい店先に並ぶ野菜を眺めると「トマト30¢」と書かれている。
キロ単位かな、と思いつつ、TVを見ながら店番していたオジサンに声をかけた。
「トマト、1個だといくらぐらいですか? 1ユーロもないんですけど買えます?」
「計ってみようか? ほい。ああ、そのコインなら3つ買えるよ」
「3つは多いので2つならいくらです?」
「ちいさいやつにすれば2つで30¢でいけるよ」
「じゃあ、それください」
なんとチキンだけの夕食前線にトマトの増援がついたぜ。(写真8)
「日本の人? 数日前、TVで昔の日本の戦争のことやってたよ」
頷くとオジサンはわかりやすい英語で話しを続けた。
そういえば数日前は「終戦記念日」だ、ケーブルテレビかなにかで第二次世界大戦の特集でも見たのだろう。
「ヒロ・・・シ、マかな? それとナガ・・・う~ん、日本の地名はむずかしい」
トマトを包んでもらいながら、原爆の話やアメリカの印象を話し続けた。
首都に「ビル・クリントン通り」があるこの国にもアメリカは大きく関わっているが、
あの国にベタ惚れしている我が国とは少々事情が異なるようだが。
さらに話しは膨らみ、こちらでも問題になっている「中国の食品問題」にまで広がっていった。
日本でも「餃子」が問題になったのはこの頃だ。
「ああ、ごめん、これから帰って夕食なんだろ?」
「いいんです、違う国の人から視点の違う話が聞けてとても楽しいですよ」
「トマト、ありがとな」
まさかバルカン半島の八百屋の店先で政治的な語らいをするとは夢にも思わなかったが、
そんな時間はとても貴重なひと時に思えた。
結果、オジサンとの話がおもしろくて八百屋の店先の写真をみごとに撮り忘れている。
結局、宿にチェックインできたのは18:30だった。
バスを降りてから中心地まで30分歩き、中心地で30分迷った計算。
首都の中心部なので、宿の住所だけでなんとかなるだろう、と思っていたのがバカだった。
プリシュティナの中心地と走る『Bul. Nena Tereze(マザー・テレサ通り)』は歩行者専用道になっているのだが、
宿の場所の通りの名を見つけることができずにその広い歩道を行ったり来たりしていた。
荷物の重さも負担になりはじめ、あきらかに行き詰っていたので、カフェから出てきた人に道を尋ねた。
「ああ、全然反対方向だよ、ついておいでよ」
カンタンにそういうと道案内を買ってでてくれた。
ちなみに道を尋ねるときは「男性」に尋ねたほうがハズレ率は低い。
女性は感覚的に道を覚えているので、道順などの説明がニガテな人が多い。
男性は目印や店などをわかりやすく伝えてくれるので、話しが早いのだ。
道を尋ねると案内してくれる人が多いのもここバルカンの特徴で、大いに恐縮するぐらい導いてくれる。
彼はグラフィック・デザイナーをしていて、これから夕食に向かう、といっていた。
時間に余裕があるとは思えず、歩きながら電話をかけていたが、
こちらを置き去りにするようなことはせず、アドレスを頼りに安宿を探してくれた。
どうやら彼もその通りの名を知らないようで、
まず近くにあったホステルに飛び込み、そこで別のホステルのありかを尋ね、道を教えてもらっている。
こういう時、現地人の現地語同士のヤリトリはまさに「話が早く」、
目的のホステルはワンブロック離れたもう一つの大通りに沿いにあることがわかり、そちらに向かって歩いた。
「この通りのはずなんだけどなあ」
クルマ通りの激しい大通りを彼が先んじて歩く。
するとビルのはるか上の方に『Hostel Pristina』と書かれた小さなカンバンが眼に留まった。
「あ、あれじゃないですか? あそこです、あのビルみたいです」
「ああ、そうだね、よかったよかった、じゃあ、僕は行くね」
そう言うと握手をして、立ち去ろうとした。
お礼になにもすることができなかったが、慌ててビジネス・カード(名刺)を差し出すことは思い立った。
「いつか日本に来ることがあったら今度は助けます。本当にありがとうございました」
彼もビジネスカードをくれ、ふたたび握手をして別れた。
1時間かかってたどり着いた寝床はアパートを改造したこじんまりしたホステル、
メインの『マザー・テレサ通り』に近いホステルはすべてフーリーで、やむなく探り当てた宿だった。
「いいね、そのチキン、いくらだったの?」
「3ユーロだよ、味はわからないけどね」
チキンとトマトをぶら下げて帰り着くとスイスの2人組がキッチンで調理をしていた。
「丸ごとでその値段? いいなあ、明日はそれにしようかな。
なにせ連日パスタでさすがに飽きたよ」
「でもソースが明日の分も残っているぜ」
パスタを皿に山のように盛り、そこに缶詰のトマトソースをかけながらふたりはそんな風にツブやいた。
「よかったら一緒に食べていいかな?」
狭いキッチンの丸テーブルを一緒に囲むことになり、アレコレおしゃべりしながら夕食をともにした。
モチロン食べる料理は別々だが。
「日本人? 英語話せるのめずらしいね?」
「シンガポールに住んでいたことがあるからね、日本人の亜種さ」
「シンガポールかあ、料理のおいしい国だよね、あそこは」
「僕らはアジアの料理も日本の料理も好きなんだ」
そんな話にはじまり、「キタノ」「チヒロ」と映画に話は飛び、
果ては「アキバ」「オタク」などという単語まで飛び交い出し、気のいいスイス人との話は夕食後もつきなかった。
ひとりの旅先、退屈な食事の話し相手は最良の援護射撃だ、このところ連戦連勝が続いているぞ。
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第十六夜 Gentle Heart @Pristina [Kosovo]
『オールド・バザール』のひと時を満喫し、宿に戻り、ベッドを空け、出発の準備を整えた。
「何時のバスで出発?」
「15時です、ランチ食べてどこかをブラブラしていたらちょうどいい感じかなと」
「うちでコーヒー飲んでいてもいいわよ、荷物もあるだろうし。
短い時間だったけどアレコレ話したから名残惜しいわね」
ニコレッタさんの優しいお言葉。
「そうですね、もう少しスコピエでゆっくりしたかったんですが、日数が詰まっているんで残念です」
「イスタンブールから日本に戻るんでしたっけ?
わたしもいつか行ってみたいわ~」
「いつでもどうぞ~! その際はいつでも案内しますよ」
社交辞令でなく、そう告げると「いつ行こうかしら?」とニコレッタさんは考え出した。
お互いにメールアドレスを交換、これでいつ来てもOKだ、ただしこちらが日本にいるときに限るけど。
「お言葉に甘えて出発まで居させてもらいますね。
じゃあ、お昼ご飯食べにいってきます」
あらためて近所のオススメレストランを教えてもらい、出かけた。
昼過ぎのこの時間、太陽光線が降り注ぎ、肌がグングン焼けるような熱さだ。
それも歩道の木陰に入ると別世界、陽光さえ避ければいいので「暑い」というより「熱い」のだ。
オープン・テラスになっているレストランに入る。
ランチタイムを過ぎたというのに5組ほどの客がいて、店員は忙しそうにしていた。
昨夜のハズレ店を顧みるとすでに味の保証はされているような気がした。
メニューはキリル文字で書かれていて、さっぱりわからない。
店員に尋ねたものの英語は苦手らしく、イマイチ勝手が掴めなかった。
肉ならハズレはないだろうと「なんとかステーキ」と銘打った皿を頼み、炭酸水を注文した。
通りに面したテラス席なのだが、しっかりと日陰なので乾いた風が抜け、エアコンなしでも心地よい。
これが日本の夏であれば、テラス席でメシを食うなどというのは暴挙に等しく、すなわち汗まみれを意味する。
ここでは纏わりついてくる湿気がいない。
向こうに見えるアスファルトの路面は眩しく焼かれていたが、炭酸水が心地よくカラダに染み込んでいった。
やって来たナゾの料理は「ステーキ」というより「ハンバーグ」に近く、
中には煮こごりのようなゼリー状のものが入っていて、食感を楽しめるようになっていた。(写真3)
バスの時刻まで余裕があったので、今回は料理の写真もシッカリ。
カメラを仕舞い込み、食べはじめようとすると足元にニギヤカなギャラリーが登場し、こちらに催促をしてきた。
「みゃー」というリクエストにテーブルに供されたパンをちぎって地面に落としたが、彼らは見向きもしなかった。
う~ん、あんたたち舌肥えているのね、でも肉はあげないよ、床汚れるし・・・、
と素っ気ない対応を見せると、ギャラリーはすぐにほかのテーブルに移っていった、次のターゲットに狙いを定め。
ナゾのステーキ120+炭酸水15+パン10=145デナリの昼食、レストランのランチで300円ですぜ。
あ、そうそう、ヨーロッパで食事なさる際、
バスケットに入れられ、テーブルに供されるパンは通常「有料」です。
ただしおかわりを求めても追加料金を取られることはありません、普通。
なので注文したメニューの額だけ払おうとすると不足することがあるので、ご注意を。
居酒屋の「突き出し」みたいなものだと思ってくださいな。
ツアーなどの食事では黙って出てきて、個別に支払う機会もないので気づきませんが、
個人で食堂(ビストロやトラットリア)やレストランを訪れた際には、
勘定書きに記されているので確認なさってみてください。
なんでそんなことを書き連ねたかというと、
この朝、部屋代370デナリを支払うと残金が少なくなったので、バス代はカードで帳尻あわせ。
マケドニアの通貨「デナリ」とも残り数時間の付き合いなわけで。
残金150デナリほどでレストランに入り、メニューと飲み物代で万事足りた、などと思ったわけで。
「パン10デナリ」と書かれた勘定書きにちょっとアセったのですね、これが。
このところ食堂レベルで「レストラン」に入ってなかったわけで。
昨夜はラルフが立て替えてのワリカンだったし。
ポケットのコインをすべて出してみて、ちょっと慌てたランチタイム、というわけです、とおさん。
「コーヒー飲む?」
宿に戻るとニコレッタさんが声をかけてくれた。
「ありがとうございます。そうだ、発つ前に『マケドニア・コーヒー』の淹れ方、教えてください」
「あ、そうだったわね。今、手が空いているから教えてあげるわ」
そういって彼女はキッチンに立ち、準備をはじめた。
本当はレストランで食後のコーヒーを頼み、ゆっくり文庫本を開いて時間を過ごそうかと企んでいた。
ところが10デナリのコイン1枚しか残らず、コーヒーどころか炭酸水すら頼むことができなくなっていた。
キャンキャンキャンと尻尾を巻いて駆け戻ると、ああ、なんと、ここでコーヒーを淹れてもらえるなんて。
把手のついた小さな銅製の鍋でお湯を沸かす、
沸いたところで火を止め、そこにコーヒー豆を入れる、
そして再沸騰させるのが『マケドニア・コーヒー』の沸かし方、だそうだ。
「甘いのが好きなら砂糖は最初にお湯を沸かすときに入れてね、あなたはブラックだったわよね」
「『マケドニア式』と『トルコ・コーヒー』はどう違うんですか?」
「フフフ、同じよ。マケドニア人が入れたらそれは『マケドニア・コーヒー』だわ」
どうも延々とからかわれていたようで、彼女が言う「マケドニア式」はトルコ・コーヒーと同じ淹れ方だった。
『Pristina(プリシュティナ)』行きのバスは定刻通り、15:00に出発した。
久々、ヨーロッパ・スタイルの新しくてキレイなバスに乗り込む。(写真5)
というか、バスのレベルが落ちたのはアルバニアだけのオハナシか。
「だけ」といえばアルバニアとマケドニアではトランクに入れる「荷物代」を取られることはなかった。
スロベニアとモンテネグロで取られたので、あるいは通貨ユーロの国のシステムか、
となるとコソヴォのバスは荷物代を取られるのかな。
http://delfin2.blog.so-net.ne.jp/2015-01-18
たいした額じゃないが、その国の残金がないときに言われると焦るんだよな、アレ。
いつものように後部ドアのすぐ後ろの席を陣取り、文庫本に没頭しようとすると、
スコピエ郊外で点々と止まってはポツポツと客を拾い、気づけば車内の座席はすべて埋まってしまっていた。
15:40、マケドニア国境で出国の手続き、16:10、コソヴォに入国。
出入国といってもバスの中で待機しているだけ、パスポートを差し出し、戻って来たものを受け取るだけで、
係官に睨まれたり、質問されたりという国境の「関門」的なドキドキ感はゼロ、
そんな感じでこの旅、6つ目の国に突入した。
17:30、コソヴォ・プリシュティナのバス・ターミナルに到着、首都から首都へわずか2:30のバス旅。
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バス・ターミナルは南西の町外れにあり、中心地まではかなりの距離がある。(写真7)
おまけにバス・ターミナルにまで路線バスが乗り入れてないので、
地元の人たちもバス停がある近くの住宅地まで歩き、そこから市バスを拾っているようだった。
地図を見ると大通りを北に向かえばいつか中心地にぶち当たるロケーションなので、歩いてみることにした。
夕刻だがサマータイムということもあり、まだ陽は高い。
目印となる『Cathedral of Blessed Mother Teresa(マザー・テレサ大聖堂)』に向け、
『Bul. Bill Clinton(ビル・クリントン通り)』という広い通りを歩き続けた。
途中、クリントンの銅像までご登場、
なんで彼の銅像があって通りに名が刻まれているのかは説明くさくなるので検索して調べてね。
「町の中心地まで行きたいんだけど?」
歩くのに少し飽きたので、水を飲みつつ、バイク屋のニイチャンたちに尋ねた。
「あれ、知ってるかい? アメリカの大統領だぜ」
(どうでもいいんですけど、その情報)と思いつつ、質問を重ねた。
「駅に行きたいのかい? それともダウンタウン?」
「いま、バス・ターミナルに着いたところでダウンタウンに行きたいんだ」
「じゃあ、おれらについて来いよ。駅まで一緒に行くぜ」
どうも英語の会話が噛み合ってないようで、駅に向かう男性二人のあとに続くことになった。
「ニホンジン」と告げるといつものように「カラテ」や「ナカタ」「ホンダ」「ヤマハ」と、
バイクだかサッカー選手だかわからない状態の話が沸き上がっては霧散していく。
宿までの長い道のりをおしゃべりしながら歩けるのは気が紛れて助かる。
それでも男性二人組なので、警戒心は緩めずに歩いた。
「駅に用はないか? じゃあ、おれたちはコッチだ。あそこに見えるのが『マザーテレサ』だ」
『Bul. Tirana』と書かれた通りとの交差点で彼らは駅のある西へ折れ、こちらは大聖堂の北方面へ直進となった。(写真8)
「ありがとう、道案内してくれて」
「いいんだ、ついでだからね」
交差点で離れながらも彼らは振り返って手を振ってくる、それに応えるように「サンキュー」と声を返した。
すると最後に「I LOVE YOU!」と声が帰って来た、なんでだ?
それにしてもバルカン半島の人たちは底抜けに優しい。
民主化間もないからか、あるいは発展の途上にあるからか、理由はわからないがみながみな、親切だ。
そんなことならいっそ発展なんかしないほうがいい。
旅行者擦れしてしまい、あるいは外国人に馴れてしまい、優しい心根も変わっていってしまうのだろうか。
そういえばアルバニアやマケドニアでは、停めたバイクやクルマはキー差しっぱなし、
そのまま用事を済ませたり、カフェでお茶したりとおそろしく治安もいいことに気がついた。
さながら日本の田舎のように「カギ」なんてしないのだ。
このあたりも「途上」だからか、あるいは「スレてない」国民性なのか。
いずれにしろアジアよりも緊張感ナシに旅行できるエリアであることは確かだ。
来るなら今のうち、旅慣れてない人でも安心して歩けますぜ、バルカンがバルカンであるうちにお越しあれ。
さっきの二人を疑った「旅慣れた」自分が少しばかり恨めしい。
スコピエからプリシュティナへ。
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