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第十七夜 Unexpected Encounter @Pristina [Kosovo]

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―DAY17― 8月21日

今日もいい天気、夏の太陽は休むことなく、照らしつけてくる。

残ったチキンとパンで軽めの朝食を済ませ、
午前中はエアコンが効いた宿のリビングでゆっくりと過ごした。
持参のコーヒーを淹れ、文庫本を開き、飽きるとテラスから通りを眺め、
日差しに負けるとまたエアコンが効いた室内に引っ込む。
プリシュティナの小さな街ではとくにみる物もないので、そんな風に優雅に小さな国の首都の午前を楽しんだ。

昼前になり、両替を済ませ、待っていてもらった宿代8ユーロを支払い、チェックアウト。
夕方の出発まで荷物を置かせもらうように頼むと、
「リビングやトイレも使っていいし、暑いからシャワーも使えば?」と気さくな返事をもらった。

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バス・チケットを買い求めるため、町外れのバス・ターミナルに向かった。
幸い混み合うこともなく、チケット売り場のおじさんはヒマそうにしていた。

「夕方の『ベオグラード』行きのチケットをください」

「それなら18:30の『パザール』行きで、そこでまたチケットを買いな」

『パザール』ってドコだよと思いつつ、差し出されたチケットを受け取り、7,5ユーロを支払う。
チケットには『Novi Pazar(ノヴィ・パザール)』と記されていた。
どうやらベオグラード行きの直通バスはどの時間帯でもないらしく、すべてその町で乗り継ぐのが常道のようだ。
2~3時間の道のりでさくっとベオグラードに乗り込み、ニギヤカな首都で宿探し、と思っていたので、
名も知らない田舎町の乗り換えに時間を費やされることがないといいな、と漠然と不安を感じた。

結果的にこの心配は杞憂でしかなく、『ノヴィ・パザール』の町で乗り継ぐどころか、
この町には触れず、別のルートを突き進なくてはならない、というトンデモナイ事態に遭遇することになるのだが、
この時点でのんきな旅人はそんな「悲劇」に見舞われるとは想像もできていないのだった。

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バスの時間までプリシュティナを満喫するため、熱い日差しが降り注ぐ中、街の中心に戻り、ランチをとることにした。

旧市街の「オープン・マーケット」に向かう途中、
ガラスケースの向こうで激しい煙を立てている食堂に目が留まった。
ひっきりなしに地元のビジネスマンが出入りしている。
幸いこういう時はハナが利くので、この店に決め、ためらわず彼らに続いて小さな店の奥に進んだ。

「同じやつ下さい」

別のテーブルでビジネスマンが頬張っていたサンドウィッチを示し、あいたばかりのテーブルについた。

店内はいかにも「町の食堂」といった感じでシンプルなテーブルが3つあるだけの質素な造り、
カウンターの向こうで親父さんはただただ無口に肉を焼き、それを息子が紙に包み、テーブルまで運んでいく。
料理を待つ間、そんな風に働く姿を眺めているのが楽しい。

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飾り気なく皿に盛られたキョフテのサンドウィッチ、
付け合わせの酢漬けパプリカが肉の脂を忘れさせてくれる。(写真4)

「うまいなあ」

地元の店の地元に味にシビれ、つい日本語が口をついていた。
当然、日本語の意味など分かるはずがないだろうが、カウンターの向こうでは親父さんと息子が笑っていた。
地元の生活の中にある地元の味に思いがけず出会うのが、旅先の一番の喜びなのだよ、笑わないでよ。
恥かきついでに「ふたりの写真、撮っていいかな?」とお願いする。
それまで厳つい顔で働いていた親父さんの笑顔が輝いた、息子はちょっと照れ気味、まだ若いな、おぬし。

小さな店なのでさくっと食べてさくっと切り上げるべき、と江戸っ子のようなことを思いつつ、
一皿分1,5ユーロ(!)の会計を済ませ、店を出た。
明日また来ることができないのが残念だ。

店の前の通りを挟んだ向こう側は知識人の八百屋さん、これまた思わぬ発見。
歩きを重ねているとさながらバラバラだったパズルのピースが繋がっていくようで、
ポイントポイントだったイメージが「街」に変化していくのだ。

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旧市街を奥へ進むと「オープン・マーケット」が広がっていた。

どこの街でも市場は眺めているだけで楽しい、小さなマーケットでは青果や果物に紛れ、生活必需品も並んでいる。
スコピエで気に入った桃が2つで50セント、小分けのヨーグルトも50セントを買い込み、
長距離バス移動の小腹対策はこれで万全。

「なあ、アンタ、カメラマンかい? 写真撮ってくれよ」

市場の写真を撮りながら歩いていると主婦を集めていた八百屋のニイチャンに唐突に声をかけられた。

「撮るのはかまわないけど?」

その返事を聞くか聞かないか、こちらの都合もおかまいなしにニイチャンはポーズを決めている。

「サンキュ! これ食えよ!」

そう言って売り物のブドウの房を少しちぎると、軽くゆすいで渡してくれた。
もらったブドウを頬張る、やたらと強い日差しの下だと果物の甘みが愛おしい。

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「うまいなあ」

「だろ? 買ってくか? さあ、いらっしゃい!!」

こちらの日本語がわかるはずもなく、あちらの言葉もわからないのだが、
そんな風に会話をしながら、八百屋のニイチャンは写真のことも忘れ、もう商売に熱を入れていた。

「(写真、渡せないけどいいのかな?)ありがと、ごちそうさま~」

目の前で突然スパークしたハプニングのような一瞬に別れを告げ、その場を離れた。

その後も旧市街やモスクなどを巡ったもののめぼしい発見はなく、日差しの厳しさだけがのしかかってきていた。
午後の熱い時間、無理に歩くことはないか、と宿に戻ってエアコンの風に甘えることにした。

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街のサイズからして観る物が少ないのは当然で、この国は「国」であって「国」でない。
これがバルカン半島のややこしいところで、
単一の民族だけが占める国ならその成立もわかりやすいのだが、
それぞれの国に他民族が混ざり、あるいは同じ民族でも宗教が異なるとコミュニティが異なり、
必然、分裂や独立といった気運が生まれてくる。

セルビアの領土の南端にアルバニアから入り込んだ人たちが住み着き、
(アルバニアはイスラム系、セルビアはセルビア正教)
その部分が「別の国」=コソヴォとして独立を果たした、この争いが「コソヴォ紛争」だ。
そのためセルビアはいまだここを「セルビアの一部」と主張し、先進国でもコソヴォを「国」とは認めていない国も多い。
(日本政府は「国」として認めている)
公用語もセルビア語とアルバニア語が用いられている。

島国・日本人からするとこういう民族紛争はなんともわかりづらい、
同時に宗教で分裂することなどが少ないアジア系には理解が難しくもある。
原因は異なるが「台湾」を「国」として認めていない国が世界中に存在することに似ているだろうか。

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街宣車さながら音楽をかけ、アルバニアの旗をひらめかせ走っていくクルマがあるかと思うと、
大通りに「UN(United Nations=国連)」のロゴが入った装甲車が信号待ちをしていたりと、
なかなかキナ臭いシーンが見え隠れもしたりする。

とはいえ、街なかはいたって平穏で、人々の暮らしは普通に営まれていて、「コソヴォ紛争」の面影すらない。
そしてこののんきな旅人はこのキナ臭い状況に気がつかなければならないことがあったのだが、
店先や市場にもアルバニアの旗が多いなあ、ぐらいにしか考えないで歩みを重ねていた。
このあと、まさか民族紛争の煽りが自らに降りかかるとも知らずに。

そんなことに気づかないなんてバルカンの日差しにやられ、おそらく頭の中身が茹で上がっていたに違いない。


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