第二十二夜 Urban Experience @Istanbul [Turkey]
汗まみれのTシャツを脱ぎ、シャワーを使い、復活の呪文を唱えることにした。
考えてみると24日の夜にベオグラードの宿を離れ、寝台列車の狭いベッドで夜を過ごし、
到着したソフィアの街を一日歩き、深夜にルーマニア・ブカレスト行きのバスを逃し、バス・ターミナルで眠り、
朝一で長距離バスでイスタンブールへ9時間の移動、トドメに出迎えてくれたのがこの街の蒸し暑さだ。
湿度が低いバルカンの大地とて昼間は8月の日差しが容赦なく降り注ぐ。
デオドラント・シートで汗を拭き、立ち寄ったホテルの洗面所で湿らせたタオルでカラダを拭いたりはしたが、
8月のさなかにシャワーなしの日々を強いられることになるとはそんなところまでは想像が及ばなかった。
バス・ターミナルのベンチで寝るのがツラくないとは言わないが、シャワーがないことのほうがダメージはデカイ。
「ホームレス」より「シャワーレス」がツライ。
ティーンネイジのバックパッカーであれば「ほとばしる青春」で片付くだろうが、
ドクシンオトコの一人旅でしかも汗まみれなんて、ただただキタナイだけで笑えはしないのだ。
シャワーを浴びながらトルコの記憶を呼び覚ましていた。
ツアーを担当していた頃、男性添乗員ということ、シンガポール現地旅行会社勤務の経験でトラブル慣れしていることから、
その代表格が「トルコ」のツアーだった。
「イタリアブーム」が少しばかり陰りを見せ、次のトレンドがまだ馴染みの薄い「トルコ周遊」に移りつつあった。
だがこの国はイタリアと異なり、ツアーのデータがまだ少なく、まだ未開発状態で、
そんななか「新しいコース」「初のツアー」の担当がこちらに担当が回って来ることが多かった。
初めてのコース、新しいツアーを偵察、斥候代わりに担当するのですね。
机の上で作ったも行程表はアテにならず、過去のレポートもナシ、手探りで新しいツアーのお客さんを連れて歩く、
何処の観光で時間がかかるとか、駐車場が遠いとか、トイレはドコにあるとか、細かいデータがない状態なわけです。
当然、トラブルは多く、予定外に時間を失って観光できなかったり、体調を崩すお客さんが出たりとトラブルは山盛り。
反面、時間が余れば行程にない村を訪れたり、遺跡を一つ余計に見たりと楽しみも多いわけで、
お客さんと協力しながら上手に「旅」「ツアー」を作り上げるという印象かな。
決まり切ったコースを回る「ツアー」とはまた違った「旅」をしていた気がするんですね、この国では。
こちらとしてはトラブルが多くても「毎月イタリア」状態で訪れていたイタリアからの趣旨変えがうれしくもあり。
なにせコロッセオの写真は撮らなくなり、レストランのギャルソンが顔を覚えてくれるぐらい繰り返し訪れ、
「日本に戻らず、ローマの空港でツアーの客待ちをしたら?」とローカル・ガイドに揶揄われるぐらい頻繁だった。
それでもあの国をキライにならなかったのは食事が合っていたからだろうなあ。
あ、そうそう、ツアコンという仕事をしていた当時、もっともよく言われたのが「いろんなところに行けていいわね」だ。
ツアー参加のお客さんにとってはその国は一生に一度の訪問かもしれないが、
ツアコンは同じ国、同じコースを何度も回る、同じ旅行会社のツアーともなれば出される食事まで同じだ。
J○○とかK○○、XX交通社とか日XXXとか、プロ添乗員に旅行会社の垣根はないので、
その国がブームとなるとその国ばかり行かされることになるのだ。
コロッセオもピラミッドもマチュピチュすらハード・リピーターになり、
そのうち「その国に何回行ったか」なんてことは数えもしなくなる。
ちなみにホトンドのツアコンが派遣契約で仕事をもらい、行き先、国を選ぶことはできませんね。
自分で営業をかけ、お客さんやツアーを作れば好きなところに行けますけど通常はアサイン次第、
スケジュールをもらって「ああ、来月XXXかあ」という感じ、そうして年間200日前後旅の空が続く。
こちとら正月休みにハワイを担当し、帰国した途端に病欠になった同僚の代理でトルコに飛ぶことに。
成田でドキュメント受け取り「TOUCH&GO」で急遽、トルコ周遊のツアーを担当、
その週末には日焼け顔でカッパドキアで雪に降られた、なんて経験もありますぜ。
お客さんにとってはそういう点まで想像が届かないらしい、そして「ドコの国が良かった?」という質問が続く。
「ドコの国でもいいです、みなさんがいなければ」といつも口から飛び出そうになるこのセリフを呑み込んでいた。
そう「旅」は仕事で行くものではなく、自分で好きなように好きなところで好きなことをするのが「旅」だ。
ツアコンの仕事を退いた今はその頃の鬱憤を晴らすかのように自分の「旅」を繰り返している、ウラミ節か、おれの旅は。
先の理由でこの国を何度も訪れていたが観光のメインは「旧市街」で「新市街」にはホトンド足を向けたことがなかった。
一度だけ、夕方の帰国便までにフリータイムが生じ、スルーガイドに連れられ、
『イスティクラル通り』に連れてきてもらったことがあったっけ。
あの時買ったハデな色のシャツは今も愛用の品、物持ち良すぎじゃないか、これ。
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そんなこんなで今回はあえて「新市街」の宿を利用することにし、この「Academie Hostel」に転がり込んだわけだ。
所狭しと押し込められた4つの二段ベッドは無人でおそらくみな出払っているのであろう、荷物だけは置き放たれている。
どういうわけかお湯が出ないシャワーで汗を流すと室内にも明かりが点いていないことに気づいた。
ひと気のない昼間は電源を落としているのかもしれない。
とりあえず服をすべて着替え、ロッカーに荷物をブチ込んで、出かけることにした。
ベッドに横になりたかったが、翌朝まで沈み込んでしまいそうな粘着力があったので取り込まれないよう部屋を出た。
いつもの旅の行い、知らない土地に着いたらまずその土地のものを口に入れる、それでその地に染まった気になるのだ。
下ってきた小高い丘を上がり、『イスティクラル通り』を目指す。
「新」市街といえと建物は古く、通りはごちゃごちゃしていて「新市街」感はかけらもない。
物売りのリヤカーが歩道を塞ぎ、テーブルでチャイを傾けるオヤジが店先からはみ出ていて、まっすぐ歩くことが難しい。
まずは活動資金の確保、両替店を探した。
ホステルで聞いたところ、『イスティクラル通り』の西側、宿を出てまっすぐぶち当たる辺りに両替店が連なっているという。
ニギヤカな通りに着くと夜も訪れるというのに店の照明やカンバンが消えていた。
どうやらこのあたりのエリア一帯、停電のようだ、どうりで電熱式のシャワーでお湯が出ないはずだ。
両替店のレートを確かめながら渡り歩いているとふと丁寧な英語で話しかけられた。
「アナタ、じゃぱにーずデスカ?」
「ですけど?」
「ニホンのお金、見せてくれませんか? 興味があります」
背広を羽織った小柄な黒人がそういって自分のサイフの中身を見せ、こちらを安心させるかのような素振りを見せた。
あいにくこちらはUS$で旅している身なので日本円の持ち合わせがなかった。
「US$しかないんだ、ごめん」
「US$ですか? ニホンのお札はないですか? ニホンの紙幣に興味があります」
彼は札がギッシリ詰まったサイフの中身を見せながらそう迫って来る、おそらくアフリカ系ニグロだろう。
(はは~ん、こいつ両替サギだな)
親切そうに見せてやたら食い下がってくるので、ピンときた。
遠目に見ていたが財布の中身に詰まっているのはコピーした紙幣のようだった、なにせムダに分厚い。
どうなるのか展開を知りたかったので、少しつき合ってみた。
「日本のお金、持ってたかなあ、もし持っていたらどうなるの?」
「ニホンの紙幣、興味あります。両替店よりいいレートで換えてほしいです」
(なるほどね。好レートで誘ってニセのトルコ・リラと替えるわけね)
「ごめんね~。日本の紙幣ないや。あ、ねえねえ、一緒にポリスのところ行かない?」
明るく軽くそう言うと表情を変えて去っていった、ひょっとすると「青ざめて」いたのかもしれない。
人混み、騒音、停電・・・、 まったく大都市ってやつは。
「Academie Hostel」はこの場所 ↓ ★こちらにレビューあります
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