第十八夜 Unfavorable Guesthouse @Sarajevo [Bosnia and Herzegovina]
―DAY18― 8月22日
サラエヴォ行きのバスは定刻通り、7:40に出発した。
カフェは薄暗く商売っ気がなく、深夜番のオヤジサンも恐ろしいほどやる気がなかったが、
店内ではWi-Fiが繋がることが救いだった。
おかげでメール・チェックで時間を費やすことができ、飽きてきたところで、
異国のバス・ターミナルで夜を明かす嘆きをオンタイムでブログにUPすることができた。
http://delfin2.blog.so-net.ne.jp/2014-08-24 (現地オンタイム・ルポ)
残りの時間はPCに入れてきた映画を見て過ごし、5時間の待ち時間をなんとかやり過ごした。
観た映画は韓国の友人オススメの「TAKEN」(邦題「96時間」)、
っておい! これってアルバニア・マフィアのストーリーじゃんかよ。
とはいえ、観てきたアルバニアとのギャップが少しばかり可笑しくもあった。
11:00、暖かいバスの車内で眠りに落ちていると公園事務所のような小さな国境でバスは停車した。(写真3)
出国と入国の手続きに15分ほどを費やし、
無事『Bosnia and Herzegovina(ボスニア=ヘルツェゴヴィナ)』に入国、バルカン半島7ヶ国目を数えた。
バスは峠を進み、ドコを走っているかもわからなかったが車窓を流れる渓谷は美しく、
眠るにはもったいない景観が続いていた。
そういえば「バルカン」とはトルコ語で「樹木に覆われた山」という意味だったっけ。
海辺の美しさばかりが強調されるが、山間部の原風景の美しさこそ「バルカン」なのかな。
12:45、トイレ休憩、
14:40、窓口の深夜番が言ったとおり、
キッカリ7時間でボスニア=ヘルツェゴヴィナの首都『Sravejo(サラエヴォ)』に到着した。
サラエヴォのバス・ターミナルは西と東に2つあり、
モンテネグロからの便は『Autobuska Stanica Istocno Sarajevo(セルビア人共和国側バス・ターミナル)』という、
東側にある旧ユーゴ時代の名残りを残すやたら長ったらしい名前のターミナルに到着した。
このターミナルは通称『Lukavica(ルカヴィツァ)』と呼ばれ、
街の中心から13kmほど離れているため、中心地へは歩いて行ける距離ではなく、路線バスかタクシーが必須だ。
ベオグラードへの出発時もここを使うので、潔くサラエヴォの中心地での宿泊はあきらめ、
バス・ターミナルの近くで泊まれる宿を掘り当て、昨夜の退屈なバス・ターミナルでネットからブッキングしておいた。
バス・ターミナルに沿うように郊外の住宅エリアが広がり、その中心に商店街が伸びていた。(写真4)
店や食堂が並ぶ商店街チックな通りには大型スーパーもあり、銀行なども点在している。
それらを眺めながら宿を探した。
公団住宅のようなアパート群を通り過ぎると辺りは一軒家が軒を連ねていた。
通りの名前をメモり、地図をPCに保存してきたが、それらしい通りが見つけ出せない。
平日の昼間、そかも午後の熱い時間に住宅地を行き交う人は少なく、少しばかり途方に暮れた。
「クソ熱い太陽」「町外れ」「徹夜状態」「長距離バス」と満貫分の役にフリ込んだようで、点箱は底をついていた。
熱い中、小さなグランドでは4~5人の子供たちがサッカーに興じていた。
こうなったら子供だろうがなんだろうが助けてもらうしかない。
「ねえ!ねえ! この通りの名前、わからないかな?」
大きな声で尋ねると一人だけこちらの英語がわかったらしく、近寄ってきてくれた。
「そっちの裏の通りじゃないかなあ」
「ありがとう。英語上手だね」
「今、学校で習っていて、好きなんです」
小学校高学年だろうか、中学生だろうか、あどけない顔のニキビが眩しい男の子が助けてくれた。
彼に教えてもらった路地を進むと目的の通りはあっさりとみつかった。
ところが該当する番地にはキレイな一戸建ての民家が建ち、駐車場にはドイツ製のキレイなクルマが置かれていた。
「すみません、『Guesthouse Aljic』はここですか??」
「ああ、君か、入りなさい」
「はあ」
小奇麗な身なりをした紳士が玄関口から現れ、慇懃な感じでこちらを誘った。
荷物を背負ったまま、民家の中に進む。
「ゲストハウス・アルジック」という名称だったので、
普通のホステルやゲストハウスをイメージしてブッキングしたつもりだったのだが、
どうやら空き部屋を利用した「余禄」営業をしているご様子、
奥の庭では陽光の下、親戚一同が集まって紅茶など入れていた。
15:40、チェックイン、ひとまず宿探しの迷子は小一時間で収まった。
部屋は新しく清潔で快適そうだったが、
オーナーの態度は「東側の公務員」に似た物腰で終始、圧を感じさせるような英語で話し、
部屋の設備や使い方なども「教えてやる」という感じが否めない、とにかくいけ好かなさ満載で接してくれていた。
こちらも新しい国に着いたばかりで余裕がないうえに、先ほどの「満貫」で脳内がショートしかけていたので、
割増しでそんな風に感じたのかもしれないが、彼からは「サービス業」の片鱗をまったく感じられなかった。
徹頭徹尾、「部屋を貸してやる」という雰囲気を溢れさせていて、
これまで出会った「バルカン人」とは明らかに毛色が異なっていた。
モチロン第一印象だけでそう決めつけたわけではない。
宿代を払う現地通貨を持っていなかったので、
「宿代を払うのに着いたばかりで『マルカ』がないんですが、この辺で両替できるところを知りませんか?」
と下手に尋ねたのだが、返ってきた答えは、
「わからんね、街の中心に行けば両替できるんじゃないか」とささくれ立つようなステキな言葉、
もはやそれからは口を利く気にもならなくなっていた。
「美しい我が家」に小汚いアジア野郎が舞い込んできたので、
こちら以上にあちらさんもイラついていたのかもしれないが、
客観的に考えても微塵も「客」としての扱いを受けていないのは事実だった。
疲れて清潔なベッドに倒れ込んでもよかったが、現地通貨も持たず、食い物もないので寝つぶしてしまうとあぶない。
それと同時にこの家にいることが癇に障っていて、この家の住人と距離を置きたい気分が強くなっていたので、
シャワーで軽く汗を流し、リフレッシュしたところで出かけることにした。
街の中心に出るのは距離があり億劫だったが、ナマケモノではいられない事情も生じていた。
昨日、バス・ターミナルでの夜明かしを強いられたので、残りの日数は今日を入れて5日しかない。
今日=23日『サラエヴォ』をやっつけ、24日『ベオグラード』泊、
25日『ソフィア』泊、26日『ブカレスト』泊、27日にはイスタンブールで一泊した後、
翌28日、午後の便に合わせ、ゆっくり空港に向かう というのが最低限の見積り、日程はかなり切迫していた。
休養を取りたいのはやまやまだったが、ベッドで倒れ込んでいる場合ではないのだ。
サラエヴォの中心地への行き方を宿のオッサンに聞く気はおきなかったので、、
キオスク(売店)で街の中心へ向かうトローリーのチケットを買い、乗り方も教えてもらうつもりで部屋を出た。
商店街の通りに両替所はなかったがまだ営業中だった銀行でUS$60を両替、手元には84マルカがやってきた、
換算すると、1マルカ=72円ほどの計算だ。
市中銀行なのでレートはよくないだろうが、現地通貨が手元にやって来たことで、安心感を手にした。
ちなみにボスニア=ヘルツェゴヴィナの通貨の正式名は「コンベルティビルナ・マルカ」とやたら長ったらしい。
キオスクの小さな箱の中で忙しそうに品出しをしているおばさんに声をかける。
「トロリー・バスのチケット、ください」
「あら、バスなら乗るときに支払えばダイジョウブよ。どこに行くの? バス番号分かる?」
肩透かしを食らった形になったが、少しだけ親切な言葉をもらい、ささくれた気分をなだめられたような気がした。
バス停に向かう途中、スタンド売りのオレンジ・ジュースを買う、
売り子の女の子は英語がわからない様子だったが、
「ひとつちょうだい」のジェスチャーでオレンジを絞りはじめてくれた。
目の前で絞ってくれるフレッシュ・ジュース、1マルカなり。
この国の通貨レートがシンガポール・ドルと変わらないことに気づき、気分的に楽になった。
$1のスイカ・ジュースに思いを馳せながら新鮮なオレンジ・ジュースをカラダに染み込ませる。
ささくれがさらに癒えた気になってくるから現金なもの、安上がりな脳内構造なのだ。
バス・ターミナルへ続く広い通りに出て、トロリー・バスを待つ。
バス停に向かう間、目に留まったのは集合住宅の壁面に残された砲撃や銃撃の後だった。(写真6)
1995年まで続いたボスニア紛争の傷跡か、空港からほど近いこのエリアも戦火に覆われたのだろう。
「内紛」「分裂」「紛争」・・・
ひょっとすると日本で耳にしてきた「バルカン半島」「旧ユーゴ・スラビア」らしい痕跡を初めて眼にしたのかもしれない。
やって来たトロリー・バスの車体は恐ろしくボロく、東側時代を思い起こさせた。
この国に来てから「ユーゴ」色がかなり強くなってきてないか。
「Bascarsija(バシュチャルシア=旧市街の中心部)に行きたいんだ」
ドライバーに運賃を尋ねながら、そうお願いした。
バス料金は1,6マルカ、キヨスクで買うと割引になるはずの金額と同じだった。
「その券をパンチしないとダメよ」
ドライバーにもらった整理券のような切符を手に席に着こうとするとおばちゃんにそう指示された。
もっともボスニア語だかセルビア語だかクロアチア語だか(いずれもこの国の公用語)でわからないのだが、
言われるままに機械に切符を差し込むと、おばちゃんは手慣れた感じで機械を叩き、パンチを打ち込んでくれた。
おそらく旧式の改札機なのだろう、古いバスに似合った感じの前時代的な機械だった。(写真8)
「ああ、ありがとうございます」
お礼を繰り返し、ドライバーの後ろの席に腰かけると「いいのよお」という感じでこっちを見ながらおばちゃんは微笑んでくれた。
そう「国」じゃなくて、「人」なんだよね、旅で触れ合うものは。
いろいろな「人」に助けてもらいながら旅は続いていく。
ポドゴリツァからサラエヴォへ
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